東照宮といえば、世界遺産のひとつである日光東照宮があまりに有名ですが、日光にはもうひとつ、栗山東照宮があることをご存じでしょうか。

時は明治維新、戊辰戦争において日光東照宮は争いの舞台となり、焼失してしまう可能性がありました。徳川家康の御神体も失われる危機があったわけですが、それを救ったのが栗山東照宮です。
今回の記事では、日光北西部の旧栗山村について紹介します。栃木県最後の村だった栗山村、どのように日光の歴史に関わってきたのでしょうか。
ぜひ最後までお付き合いください。
栗山東照宮
旧幕府軍にとって聖地であった日光は、東北地方への入口であり、新政府軍にとっては豪華絢爛な建築物は焼き討ちのターゲットになってしまいました。

その危機を救ったのが板垣退助です。200年以上にわたる徳川幕府の功績を認め、旧幕府軍に日光から撤退するように提案しました。
この間に徳川家康の御神体をどうするか?という問題が起きました。北の会津に運んで逃れようとしましたが、その会津にも新政府軍の手が伸びている状況でした。
そこで日光と会津の中間にあたる栗山村で、御神体は大切に守られてきました。
その御神体を目にすることはタブーのように扱われてきましたが、昭和に入ってから「御神体が発見された」と大きなニュースになりました。
この歴史を残そうと、昭和45年(1970年)に建てられたのが栗山東照宮です。何十年もひっそりと隠されていたので、その雰囲気を残すような佇まいです。

その隣にも神社の形跡(下写真)があって、栗山東照宮が建築されるまでは、こちらが本殿としての役割を持っていたのではないでしょうか。

この一帯は家康の里と呼ばれていますが、せっかくなのでもうちょっと前面にアピールしてもいいんじゃないかな...と感じます。
徳川家康の御神体については、様々な伝説が残されています。昭和になってから「東照宮」のネーミングで建築したことに多少の強引さは感じますが、会津藩主より守護職の命じられて御神体が守られたというエピソードは、とても興味深いものがあります。
川俣ダム

次に紹介する旧栗山村のスポットは、鬼怒川を上流に進んだ場所にある川俣ダムです。
大昔から何度も氾濫を起こしてきた鬼怒川は、近代になっていくつものダム建設が行われ、この川俣ダムは昭和41年(1966年)に完成しました。
完成直後は鬼怒川が涸れてしまうような状況で、観光的な要素はまったくなかったのですが、平成24年(2012年)からは管理用だった橋が「瀬戸合峡渡らっしゃい吊橋」としてリニューアルします。

紅葉の時期には吊り橋からの絶景を、360°楽しむことができますので、ぜひ足を運んでみてください。
黒部ダム

次に紹介するダムは、日本初の発電用ダムとして建造された黒部ダムです。
富山県にある黒部ダムが非常に有名ですが、日本経済に与えたインパクトとしては負けていません。
明治20年~30年代は、日清戦争や日露戦争の勝利、近代化が急速に進んで電気に対するニーズも急激に増えていた時代でした。
当時は火力発電や水力発電しか、発電する方法がなかったわけですが、ここで注目されたのが豊富な水量を持つ鬼怒川上流です。
計5回にも及ぶ現地調査を行った結果、ダムを建設する立地としては申し分ないという結論に至り、鬼怒川上流で水を確保する黒部ダム、そして現在の鬼怒川温泉の付近には下滝発電所、そしてそれらを繋ぐ地下水道管の建設が計画されました。

こうして明治44年(1911年)に着工することになります。
やっと掘削機械などが登場した時代でしたが、手作業を中心に驚異的なスピードで建設が進められて、翌年の大正元年(1912年)には日本初の発電専用コンクリートダム、黒部ダムが完成しました。完成当時は東洋一の発電量を誇っており、大正時代の東京を照らす大きな役割を担いました。
この黒部ダムは、水力発電だけでなく2つの大きな副産物がありました。
ひとつは鉄道の原型が残されたことです。
黒部ダムや下滝発電所を建設するためは、山奥まで大量の資材を運ぶ必要がありました。そのため人力では限界があり、たくさんの馬車鉄道や索道(ロープウェイ)が整備されました。
黒部ダムの建設後は、線路などは取り壊す予定でしたが地元からの働きかけがあり、活用されることになりました。馬車鉄道が蒸気鉄道となり、大正11年には電気鉄道、昭和4年には東武日光線と接続したことで、観光鉄道として一気に進化することになりました。
もうひとつは、鬼怒川下流の水量が大きく下がったことで、源泉がいくつも発見されたことです。この源泉発見がなかったら、まったく無名だった鬼怒川温泉が全国区の規模になることはなかったわけです。

こうして黒部ダムの建設によって、鬼怒川温泉を結ぶ鉄道が整備され、源泉が増えたことで温泉観光地として爆発的に成長するきっかけとなりました。
湯西川温泉

旧栗山村にはいくつもの良質な温泉があるのですが、比較的足を運びやすいのが湯西川温泉です。
マイカーはもちろん、湯西川温泉駅からバスを利用することもでき、どの季節であっても楽しめると思います。
春夏は静かな避暑地として訪れる方が多く、秋の紅葉はいろは坂のような混雑を避けてゆっくりと絶景が楽しめます。
冬は関東三大夜灯に認定された、かまくら祭が必見です。

この湯西川温泉は800年以上の歴史があり、源泉発見は平家伝説が絡んでいることもミステリアスです。もともとは温泉地として知られていたわけではなく、壊滅的なダメージを負った平家の落人がたどり着き、雪が降っても積もらない場所に気づいて温泉が発見されました。
源泉発見のエピソードとしては、かなり珍しい歴史だと思いますが、当時の様子は、平家の里(下写真)でも復元されたものを見ることができます。

このエピソードの真相は今となっては不明ではありますが、約30年前の1994年には源氏と平氏の和睦イベントが行われたり、平家の栄華を再現した平家大祭が毎年開催されるなど、かなり平家伝説に基づいた温泉街という印象です。
そんな平家物語の最終章とも呼べる湯西川温泉は、いかにも温泉観光地である鬼怒川温泉や川治温泉とは一味違う存在感を放っています。ぜひ一度は訪れてほしい、個人的におすすめしたい温泉街です。
いかがでしたでしょうか。
旧栗山村の紹介を通じて、日光をより深く知っていただきたいと思い、様々な観光スポットをピックアップして紹介しました。
現在は合併して日光市の一部となりましたが、他の世界遺産エリアや中禅寺湖、鬼怒川温泉とは全然違った魅力を感じていただければ幸いです。