今回の記事では、霧降高原を進んだ先にある六方沢橋を紹介します。
東武日光駅そばの霧降大橋から出発して、標高1400mの高原に向かうと、ちょっとした展望台を兼ねた駐車場があります。逆に、それ以外は何もないという、ただ大自然を前に爽快感を味わえる絶景スポットです。
途中までしかバスが走っておらず、基本的にはマイカーで行くしかないのですが、霧降高原道路の風景と六方沢橋の魅力を感じてもらえるとうれしいです。
霧降高原とは?
霧降高原は、日光東照宮や中禅寺湖のような歴史的な観光地と、鬼怒川温泉・川治温泉のような温泉観光地の間に挟まれた高原地帯です。
六方沢橋に続く県道169号は、かつて2006年までは、霧降高原道路と呼ばれた有料道路でした。緩やかなカーブと登りが続く、ひたすら高原を走る観光目的の道路だったようです。
キスゲ平園地
六方沢橋の手前には、キスゲ平園地があります。
霧降高原スキー場だった場所を活用して、現在はキスゲをはじめ、様々な草木を楽しめる観光スポットとなりました。キスゲが広がる6月から7月にかけては、多くの方が訪れており、それ以外にも夏の花、紅葉、日の出など、見どころは一年中ある感じです。1445段ある階段は、ぜひチャレンジしてみてください。
六方沢橋
今回の目的地、六方沢橋です。
駐車場からの眺めも素晴らしいのですが、残念ながらここから橋は見えないので、そちらに向かっていきましょう。
標高1434m、長さ320m、谷底からの高さは134m、なかなかの迫力です。
霧降大橋では気温28度、5月中旬としては暑い日ですが、こちらの駐車場は18度。ちょっと涼しいくらいです。
落下防止で高い柵が設置されていますが、見下ろしてみると、キレイにV字を描いている六方沢を見ることができます。
ちなみにこの六方沢、幕末から明治維新に一風変わった活躍をした大鳥圭介、以下2000名が立ち寄った場所としても知られています。日光東照宮から会津に向かう、裏道のような場所に六方沢があるためです。
大鳥圭介とは?
大鳥圭介は、旧幕府軍による西洋式軍隊「伝習隊」の陸軍トップとして、新政府軍と戦っていた人物です。
江戸城の開城に反対して、その後、宇都宮、日光、会津と転戦していく途中で、この六方沢にも立ち寄りました。最終的には、函館の五稜郭で敗れて投獄されるわけですが、特赦により解放されて、そのマルチな才能を評価されて明治政府にも仕えることになります。
医学、工学、英語・フランス語・オランダ語に精通しており、翻訳、インフラ整備、数々の校長を歴任、外交官に転じた後には、朝鮮公使としても活躍。このように旧幕府軍を率いた立場だったにも関わらず、戦っていた明治政府でも晩年まで貢献した、波乱万丈な人生でした。
そんな大鳥圭介が率いていた旧幕府軍が、宇都宮で大敗、徳川家のシンボルであった日光に向かいました。その後、日光東照宮が戦火に巻き込まれる危機を避けて、決戦の地、会津に向け移動する途中に六方沢に立ち寄ったわけです。
主要な道路は新政府軍に抑えられてしまい、こんな険しい場所を進むしかありませんでした。絶望的な状況で立ち寄った六方沢での一休み、この景色を春の終わりに眺めて、その先に続く会津での激戦が待ち構えていたと思うと、感慨深いものがあります。
石を枕に一夜を過ごすと、白いヤシオツツジが広がっていた、という景色は、現代の私たちが橋の上から見る絶景とはまったく違ったものだったことでしょう。
かなり話が脱線しましたが、そんな歴史的な人物も立ち寄った、六方沢橋を紹介しました。ぜひ過去のエピソードにも、思いを巡らせて楽しんでみてください。