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イマイチなんて言わせない!【日光今市】交通拠点の歴史と魅力を解説

日光といえば、世界遺産、中禅寺湖、鬼怒川温泉などの観光スポットを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。それらの観光スポットに行くためには、必ずといっていいほど「今市」という日光の中心部を通り抜けることになります。

聞いたことあるけど何があるの...?という今市...

ダジャレでスベるだけではもったいない、今市の歴史と魅力を紹介します。

ぜひ最後までお付き合いください。

 

交通の要所として発展

今市にスポットライトが当たったのは、江戸初期、五街道が整備された時代です。

江戸から日光東照宮に繋がる日光街道が1636年に完成しており、東海道の次に開通したことからも、その重要性を感じることができます。

元々は日光への参拝であったり、物流の大動脈として徳川家康の時代には計画があったようです。徳川家康の死後、遺体が久能山から日光へと移り、神として祀られた徳川家康を参拝するために日光街道が完成しました。

途中には全部で21の宿場町が用意されて、現在の市街地にも色濃く反映されています。17番目が奥州街道との分岐点だった宇都宮宿、そして20番目が今市宿でした。

日光街道の拠点であった今市宿ですが、ここは日光例幣使街道との合流地点でもありました。例幣使とは、朝廷が京都を出発して伊勢神宮まで捧げものを運んだ使者のことを指します。幕府の強い要望もあり、日光東照宮にも同様に例幣使が送られました。

1647年から大政奉還が行われた1867年までの221年にわたって、一度も途切れることなく京都から日光まで例幣使が通ったわけですが、この際に使われたルートが日光例幣使街道です。

五街道のひとつ、中山道から分岐して群馬や栃木の西側を通って、今市で日光街道と合流したわけです。例幣使が毎年使うことで整備が進み、西日本との物流にも大いに利用されたようです。

 

もうひとつ、今市を結んだ大きな街道がありました。会津西街道です。

江戸時代の重要拠点であった会津地方、その会津と江戸を繋げる街道として、現在の会津若松から今市まで会津西街道で結ばれていました。この街道も参勤交代や物流に活躍しており、その終点であった今市を経由して、江戸を行き交っていました。

このように、今市は五街道のひとつ、日光街道の宿場町であっただけでなく、日光例幣使街道との合流地点、会津西街道の起点として重要な役割を果たしていました。

 

今市の近くで同じような機能があった宿場町としては、現在の宇都宮市、宇都宮宿がありました。五街道の日光街道と奥州街道の分岐点となっていた宇都宮宿も、様々な目的の人々が行き交っていた意味では、今市宿と似たような性格だっただろうと察します。

 

現在もアクセスの拠点

江戸時代には交通の要所として栄えていた今市ですが、そのアクセスや街道の名前は現在にも引き継がれています。

日光街道はその名前が残っており、東京方面から日光東照宮に通じる国道119号として機能しています。また当時の日光街道とルートはずれていますが、JR日光線や東武日光線が東京と日光を結んでおり、日光東照宮に行く交通手段として使われています。

日光例幣使街道も、特に鹿沼から日光に至るルートでは、国道293号、国道121号として残っており、今市で日光街道と合流しています。

 

会津西街道も、国道121号、国道131号として今市から会津若松を結んでいます。現在は、福島県の中通りを縦断する国道4号や東北自動車道が移動の主役になっています。会津西街道は、大内宿(下写真)に代表されるように観光目的の性格がより強いと感じます。

わかりやすい例では、会津西街道に沿う形で東武鬼怒川線、会津鬼怒川線が走っており、鬼怒川温泉や川治温泉への交通手段として使われています。

 

このように現在も今市は、いくつもの国道が交わり、鉄道においては日光東照宮方面と鬼怒川方面の分岐点として存在しているので、基本的には日光に遊びに行くとなると、今市を経由してどこに向かうのか?というルートになります。

 

おすすめスポット

交通の要となっている今市には、観光で来た際にぜひチェックしてもらいたいスポットもたくさんあります。

今回はそこから抜粋して、日光ランドマーク、道の駅日光、報徳二宮神社を紹介します。

 

日光ランドマーク

今市ICにほぼ直結する形で、観覧車が目印の日光ランドマークが建っています。1階部分がスーパーマーケット、2階以上はいくつかのテナントが入っていて、地元の方もよく利用しているイメージです。

観覧車から日光連山を眺めたり、屋上部分でゆっくり過ごすことができるので、旅行の寄り道にも楽しめると思います。

 

道の駅日光

私が人生で見たなかでも、断トツに駐車場が小さいのが残念ではありますが、日光唯一の道の駅としていつも賑わっています。道の駅より北側に少しだけ離れた駐車場がありますので、週末などは積極的に使うことをオススメします。

日光の買い物はひと通り完了しますので、特に旅行帰りには便利なスポットです。

その道の駅から少し奥まった場所に、歴史的な偉人の墓地があります。

 

報徳二宮神社

二宮金次郎、二宮尊徳が眠っている神社が報徳二宮神社です。

蒔を背負って勉強している姿が、歩きスマホを肯定してしまうのでけしからん!なんて声を聞いたことがありますが、とにかく地域経済の建て直し屋として、江戸後期に幕府に仕えて大活躍しました。

・生活インフラの整備

・移住者への手厚いサポート

・村民の投票によって功労者を表彰する仕組み

・不作に強い食物を広めて食料の安定化

・農業以外にも副業を推奨して、その収入を将来のために積み立てをさせる

このように、現代においてもまったく通用しそうな戦略を落とし込んできました。

その二宮尊徳は、今市で生涯を閉じています。

 

夕食に行くなら4選

日光は全体的に夜が早いので、出歩こうとすると開いている店がない!という問題にぶち当たります。最後に今市エリアで勝手に選んだ、夕食オススメ4選を紹介します。

 

ユタの店

ちょっとインパクトがありすぎな店名ですが、本格的な担々麺が食べられます。

「担々麺なんてどこで食べても一緒でしょ?」と思っている方にこそ、ぜひ味わってもらいたい一品です。

地元の方もよく足を運ぶので、いつ行っても混んでいるイメージですが、夕方以降も営業していますので、チャンスがあればぜひ!という感じです。

 

ニジコ

 

こちらは道の駅日光のすぐ近くにある、小さなこだわり食堂、といった感じです。

ワンオペでランチもディナーも営業しており、失礼ながら意外と定番かつ繊細な味わいのディナーを楽しめます。外食によくあるパンチが効いた味付けではないので、毎日でも食べられそうな感じです。

 

佐藤食堂

こちらも道の駅日光のすぐ近く、1本裏側の道路で営業しています。

昭和の雰囲気の、昔はこんな食堂あったよねぇ...っていう見た目ですが、メニューや味付けも懐かしさいっぱいです。「安すぎじゃないですか?」と聞いたところ「これ以上儲けるつもりはない」という返答。

観光地とは思えないお値打ち価格ですが、5のつく日はさらに安くなって、まるで学食並みの500円メニューが登場します。

個人的には昭和テイストな店内に、トイレが今風なところが素晴らしいと感じました。

 

ラーメンパークふじや

佐藤食堂の並びを進むと、また明かりが見えてきます。

ラーメンパークという、ありそうでなかったネーミングですが、ラーメン以外にもたくさんのメニューがありますので、迷ったらここ!でもいいんじゃないでしょうか。

私は味噌ラーメン系を食べることが多いですが、定食も含めてどれもオススメで安定感があります。

 

 

いかがでしたでしょうか。

日光東照宮や鬼怒川温泉に行く途中にある今市、どんなところなの?と思っていた方も多いのではないでしょうか。通り過ぎるにはもったいない、そんな今市にもぜひ立ち寄っていただきたいと思います。