年間200万人前後が訪れる鬼怒川温泉、そこからさらに10kmくらい北に進んだ先にある、ちょっとこだわりの温泉街が川治温泉です。
川治温泉を一言で表すと、豊富で良質な温泉が自慢、そして高度成長期の建設ラッシュの影響をもっとも受けた温泉街のひとつでしょう。
全国的な知名度の鬼怒川温泉、平家物語から歴史が続く湯西川温泉に挟まれており、ちょっとマイナーかな…という印象もある川治温泉、いったいどのような温泉街なのでしょうか。
曖昧な源泉発見
川治温泉の発見は、8代将軍徳川吉宗の時代、享保年間と言われています。1718年、1723年など諸説ありますが、大雨によって男鹿川が氾濫して当時の五十里湖が決壊、川が氾濫して水が引いた後に発見されたようです。
下流にある鬼怒川温泉の発見が1691年なので、その30年後くらいの出来事でした。
泉質と湯量には自信あり
川治温泉は、男鹿川と鬼怒川が合流するポイントにあり「傷は川治、火傷は滝(現在の鬼怒川)」と伝えられるほど傷に効くとされ、山間の良好な温泉として知られていました。
日光と会津を結ぶ会津西街道の宿場町、そして治療や療養を目的とした湯治場として利用されていたようです。
露天風呂など、いくつかの温泉があったでしょうが、近江屋旅館が源泉発見からすぐに営業していたようで、意外と行き交う人が多かったと察します。
建設ラッシュの追い風
川治温泉が急成長した理由は、時代の流れに完全に巻き込まれたことが大きな要因でしょう。数十年にわたる大規模工事が立て続けに起きたことで、工事に関わる人が大量に集まり、道路が整備され、ひとつの大きな町が形成されていきました。
五十里ダム
川治温泉の発展には、五十里ダムの工事が大きく関係しています。
たびたび氾濫していた鬼怒川の治水のために、五十里ダムの建設が計画されたのは、大正15年(1926年)のことでした。その後、断層の発見や戦争による中断、建設中に洪水で流されたり、竣工当時は日本でもっとも高いダムだったこともあり、相当な苦労の末に完成しました。昭和31年(1956年)のことです。
ダム工事はもちろん、河川や道路の整備も含めてすべてが危険と隣り合わせの工事だったため、殉職者28名、治療後障害が残った方が99名という大きな犠牲の末に、鬼怒川の安定が実現しました。
日本各地から集まった職人、そして現地で補充した現場労働者、ダム工事に関わった多くの人たちが川治温泉に滞在することで、当時は爆発的に賑わっていたようです。
会津鬼怒川線
昭和41年(1966年)に、日光と会津地方を結ぶ鉄道の工事が開始されます。
今ではピンとこないですが、当時は東京と新潟を結ぶアクセスのひとつとして、東京→日光→会津→山形→新潟という鉄道路線が計画されていました。
川治温泉はこの動線上にあったことで、またもや大規模な建設ラッシュの恩恵を受けることができました。
計画見直し、工事中断など幾多の困難がありながらも、昭和61年(1986年)に野岩鉄道、会津鬼怒川線が開通します。
これによって川治温泉駅や川治湯元駅を利用して、会津鬼怒川線で川治温泉に来ることができるようになり、マイカーと鉄道どちらでも来られる温泉街として発展します。
昭和58年(1983年)には、川治ダムも完成しており、このあたり一帯は追い風が吹き続けている状態でした。
高度成長期とバブル崩壊
これまで紹介したように、川治温泉の周辺では国家事業レベルの建設ラッシュが起きました。
タイミング的にも、五十里ダムの完成した頃に日本は高度成長期に入り、会津鬼怒川線が開通した頃にバブル経済に突入します。
建設ラッシュで工事関係者が殺到して、工事が終わったら社員旅行などの観光客が集まるという、理想的な必勝パターンに乗ってきたわけです。
これによって、大型ホテルが次々と建設されて、深夜の12時になっても人通りが絶えないような温泉街となりましたが、そんな絶好調の時代も1990年代のバブル崩壊によって終わりを告げます。
鬼怒川温泉ほど、大型ホテルが乱立したわけではありませんが、好景気の波に乗って団体客ばかりを迎えるうちに、風情たっぷりの温泉街はその魅力を失っていきました。
2003年の足利銀行国有化によって、どうにか資金を繋いでくれていた最後の砦も失って、閉館するホテルが増えていきました。
2007年には、大正15年創業の老舗、柏屋ホテル(現在の湯けむりの里柏屋)が破産手続きを開始、2008年には川治温泉最大規模の一柳閣本館(現在は伊東園ホテルズ)が破産手続きに入ります。
300年の歴史を誇った近江屋旅館も、昭和に入り「川治温泉ホテル」と名称を変え、その後は「源泉の宿らんりょう」として、川治温泉の看板的な役割を担ってきましたが、2017年から低価格路線のリブマックスリゾートとして運営されています。
現在に至っても外資の進出があったりして、動きはあるのですが、その一方で廃墟となった多くの建物は放置されており、せっかくの温泉街が淋しい感じになってしまいました。
川治温泉の個性とは?
現在の川治温泉は、旅館やホテルを除くとアミューズメント施設と呼べるようなものは皆無、良い意味でストイックな温泉街というイメージです。
個人的には、ファミリーで遊ぶなら鬼怒川、温泉をゆっくり満喫するなら川治、のような使い分けがもっと明確になれば、川治温泉はもっともっと知られる温泉街だと感じます。
鬼怒川温泉に遊びに来た若い方が「今度は川治にも行ってみようか」と思うような仕掛けです。
湯量に不安がある温泉街が多いですが、温泉街でのんびり過ごす雰囲気を大切にしながらも、豊富な湯量を活かしたイベントを両立できたら、抜群のプロモーションになりそうです。
勝手なアイディアを書いてしまいましたが、現在の川治温泉はそれだけまっさらな印象で伸びしろしかありませんので、何でもできそうな気がしてなりません。
機会がありましたら、ぜひ足を運んでいただきたい観光スポットです。
参考にしていただければ幸いです。