関東と東北の境界線に、ひっそりと隠れている男鹿高原駅をご存じでしょうか。
関東の北端にあるこの駅は、日光市役所から50kmも離れており、訪れてみると「こんなに何もないのか...」と絶望してしまうロケーションです。

今回の記事ではそんな、開業から39年、標高約760mの男鹿高原駅を紹介します。
ぜひ最後までお付き合いください。
(2025年4月現在の情報です)
男鹿高原駅とは?

知っている方にとっては、浅草から最速3時間前後で行ける秘境駅として有名ですが、男鹿高原駅で乗り降りしたことがあるよっていう方は少ないのではないでしょうか。
1日の平均乗降客数が1人、10時台から14時台まではまったく電車が止まりません。

日光と会津を結ぶ会津鬼怒川線において、栃木県内最後の停車駅が男鹿高原駅です。
会津鬼怒川線とは?

駅がある会津鬼怒川線は、もともと東京と日本海側を鉄道で結ぶ壮大なルートの一部として計画されました。

明治時代には構想があったのですが、途中で何度も頓挫したりして民間も入り込んでの第3セクター路線として、やっと昭和61年(1986年)に開業しました。
日本海側まで繋がる計画は、結局は違うルートで実現してしまい、会津鬼怒川線はどうにも中途半端な存在感となってしまいました。
それでも日光と会津を結ぶ貴重な路線であり、2006年からは「ほっとスパ・ライン」という愛称を使うほど、鬼怒川温泉、川治温泉、湯西川温泉、塩原温泉、中三依温泉にアクセスすることができます。

途中駅のほとんどが温泉地。いつの日か会津鬼怒川線で移動しながら、それぞれの温泉に連泊して楽しみたいものです。
駅から一歩出てみると
そんな「ほっとスパ・ライン」の停車駅である男鹿高原駅は、残念ながら温泉どころか大胆なほど何もない無人駅です。
階段を上って、少し散策してみると変電所(下写真)があります。

その先には、山火事や自然災害を想定した緊急用ヘリポート(下写真)があるくらいで、本当に何もありません。

さらにもう少し進むと、会津西街道と呼ばれる国道に出ます。

国道まで出れば飲食店も多少はあるので、地元産の食材を使った料理を味わうことができます。

こちら「横川のさと」では、地元の新鮮な野菜と美味しい蕎麦で、個人的には満足度120%のランチでした。

ぶっかけそば(税込1000円)です。季節によって山菜が変わるようで、また訪れるのが楽しみです。


男鹿高原駅に降り立ってみると、できることは散歩とランチ、瞑想くらいですが、この何もできない空間に飛び込んでリフレッシュしてみるのも悪くないと思います。
広すぎる日光の象徴

男鹿高原駅に来てみて感じたことは、改めてあまりに広い日光市です。ここから日光市役所まで50km、同じ日光市内の観光地、足尾銅山までは75kmもあります。良くも悪くも日光市は広すぎる...ということを嫌でも実感します。
記事の趣旨とはズレてしまうのですが、男鹿高原駅に来てみると、日光市が抱える課題を全身で感じることができます。
日光市の広さは市町村で全国3位、東京23区の倍以上ありますが、人口はどんどん減っていき現在は7万人台です。

各エリアには魅力的な観光スポットがあるのですが、工場や大きな企業がわずかしかなく、税収が少ないだけでなく就職先も限られてしまいます。その結果、2020年から2050年までに20代30代の女性、つまり出産適齢期の女性が半減してしまうという消滅可能性自治体のひとつに指定されています。
進学や就職で人口が減る社会減、出産数が激減する自然減、このダブルパンチを食らいながら、さらに面積が広すぎて、どうしても各エリアに役所、駐在所や消防署、学校といった公共施設を配置しなければならず、経費もかかってしまいます。人口が7万人なのに市の職員が860人もいるのは、どう考えても多すぎるのですが、テクノロジーで解決する前に過疎地域のコミュニティが崩壊してしまいそうです。

財政の豊かさを表す財政力指数、簡単に表現すると、必要支出に対する収入の割合は日光市の場合は0.55程度(栃木県データ・R4~R6平均)です。これは栃木県内の25ある市町村のうち、20番目の位置であり、残念ながらこれが観光都市日光の実力といったところです。
2025年の夏で文化会館が休館になり、2027年以降は日光市内の3つの高校が1つに統合されるという、目に見える現象が起きはじめています。こういった行政規模の縮小は、こんなもんじゃないくらい加速するでしょうし、そもそも日光市が存続できるかどうか...という崖っぷちの状況です。
宮城県のある村では、工場誘致に全振りしたことで消滅可能性自治体のレッテルを脱しています。
鹿児島県のある町では、卒業後に10年以内にUターンすれば、奨学金を町が肩代わりする制度を導入して、同じく消滅可能性自治体を脱しました。
このような一点突破で、誰でも理解できるわかりやすい戦略とマーケティング活動が必要な時代に移り変わりました。
せっかく日光ナンバーを導入して多少のニュースにはなったので、何かしら強烈な政策の導入記念としてワンセットで公表すれば、もっとインパクトを与えられて、日光ナンバーを見るたびに温かい気持ちになっていたかもしれません。
ここまで述べたのは、決して市町村合併、そして日光が誇る歴史や観光を否定するものではありません。しかし歴史と観光だけでは、日光市を次の世代にバトンタッチすることすら難しい時代になりました。
2025年4月、日光市長選挙が行われます。
観光都市日光がそれに縛られない改革を行い、新しい価値を発信して、稼げる街、人が集まる街に生まれ変わることを願っています。