今回の記事では、40代以上の方は脳裏に焼き付いているであろう「ホテルニュー岡部」について振り返ります。
1952年の創業から、超大型ホテルの連続投入、その後のリブランドや売却、鬼怒川温泉で廃墟となった現在までをまとめました。ぜひ最後までお読みください。
(2023年11月現在の情報です)
塩原東京ホテルの創業
日本が戦後の混乱から立ち直りつつあった1952年、栃木県の塩原温泉に、塩原東京ホテルが開業しました。創業者である岡部脇太郎は、東京で機械関連の会社経営をしていたようですが、この開業を機に、栃木と静岡で巨大ホテルを営業してきた岡部ホテルグループの歴史がはじまります。
翌年の1953年、鬼怒川観光ホテル水明館が開業しました。
1955年から日本は高度成長期に入りますが、その手前で塩原温泉と鬼怒川温泉という、東京から半日で行ける温泉地に進出することができました。
1965年、塩原東京ホテルはホテルニュー塩原とブランド名を変更します。
拡大路線へ
1972年には、ホテルニュー塩原の西館がオープンします。現在も残っているこの西館(下写真)は、当時は新館と呼ばれており、ボウリング場やステージまで揃った、まさに娯楽の殿堂でした。
東館と西館を連絡通路で繋いだ巨大ホテルとなり、1200名という収容人数は、この当時から塩原温泉のシンボル的な存在感を発揮しました。
現在も残っている箒川を渡っている橋「虹のかけ橋」は、最初は小型ロープウェイだったようで、とにかく強気の投資が勝ちパターンだったと察することができます。
一方の鬼怒川温泉では、1978年に鬼怒川ホテルニュー岡部が開業します。
鬼怒川温泉においては、さらに拡大を続けて、鬼怒川観光ホテル水明館は、西館、東館、別館という体制になります。
水明館は西館のポジションとなり、こちらも西館と東館を合わせて1100名収容の巨大ホテルとなりました。
拡大路線は、1990年前後のバブル経済崩壊まで続きます。
1990年、静岡県の伊東温泉に、収容人数600名の伊東ホテルニュー岡部(下写真)を新築します。
創業の地、塩原温泉では、Beauty&Healthy館(通称B&H館)を新築して、収容人数は1400名に達します。
1992年、鬼怒川観光ホテルニュー岡部は、別館と呼ぶには巨大すぎるクイーンタワーが完成します。元々営業していたキングパレスと合わせて、1200名という巨大ホテルとなりました。
バブル経済の後遺症
この頃には、バブル経済崩壊による企業倒産や業績悪化が深刻化しており「そのうち景気は回復するだろう」という楽観論を唱える人もいなくなっていました。
そのような空気が漂っていた1996年、駿河湾に面した場所に西伊豆ホテルニュー岡部(下写真)を開業します。460名という収容人数は、これまでと比べると小さい規模です。
栃木と静岡に巨大ホテルが乱立した背景には
・首都圏から半日かからずに行ける
・不便ではないレベルで自然に囲まれる
・地元銀行の積極的な支援
このような共通点があったと考えられます。
しかし、数十名~数百名の社員旅行で巨大ホテルを何ヵ月も前から予約して、大宴会をするという、いかにも日本っぽい企業文化は、長い不景気で目が覚めたことにより消滅してしまいます。
プライベート重視の個人旅行が主流になったことは、巨大ホテルにとっては巻き返しが絶望的でした。
岡部ホテルグループは、2005年には整理回収機構によって債権放棄があったことで、多少の延命措置は受けられましたが、そこからのV字回復とはならずに最終的には清算することになります。
ホテルニュー塩原が創業した東館は、湯仙峡(下写真)として、2005年にリニューアルオープンします。
その頃、鬼怒川温泉では、鬼怒川観光ホテルの西館(水明館)が閉館します。
2007年には解体工事が行われて、現在はほとんど痕跡がありません。西館のすぐ隣に建てられていた岩風呂水明館の基礎部分?が、現在はくろがね橋から見ることができます。
翌年の2008年には東館も閉館となります。残念ながら東館は、その後に取り壊されることもなく、廃墟群の一角として目立つ存在になってしまいました。
分社化と買収劇
2009年には岡部ホテルグループは分社化されます。
キングパレスとクイーンタワーの二本立てによって、巨大リゾートを形成していた鬼怒川ホテルニュー岡部は買収されて、きぬ川ホテル三日月としてリニューアルオープンしました。現在はきぬ川スパホテル三日月の名称で、総合スパリゾートとして営業しています。
同じく2009年、西伊豆ホテルニュー岡部(下写真)は、西伊豆クリスタルビューホテルとブランド名を変更して営業していたものの、2020年には伊東園ホテルズに買収されています。
伊東園ホテルニュー岡部(下写真)は、2010年に大江戸温泉物語グループに買収されて現在に至っています。伊東園ホテルニュー岡部だけは、現在も「岡部」の名前が残っていますが、岡部ホテルグループとの関係性はありません。
そして、創業の地であるホテルニュー塩原は、こちらも大江戸温泉物語グループに買収されます。ファミリー層や中高年の団体客に喜ばれやすい広々とした設備と、すでにある建物を買収することによって、低予算で宿泊できる大江戸温泉物語のスタイルに、ピッタリとハマっていると感じます。
西館、東館、別館の3館体制だった鬼怒川観光ホテルは、別館(下写真)だけが大江戸温泉物語として営業を継続しています。
これによって、一世を風靡した岡部ホテルグループは、大江戸温泉物語が3館、伊東園ホテルズが1館、三日月が1館という形に生まれ変わりました。
足を運ぶ際には、これまでの歩みも振り返ってみると感慨深い旅行になるかもしれません。
創業から70年、戦後からの復興、高度成長期とバブル期の拡大戦略、その後の経済低迷と旅行スタイルの変化という、この激動の時代を岡部ホテルグループの歴史を振り返ることでも感じていただけると思います。
参考にしていただけると幸いです。