tochipro

キャリア・短編小説・NIKKO・Fukushima

【大江戸温泉物語】鬼怒川温泉廃墟の救世主!?「お台場の創業から湯快リゾート経営統合まで」

今回の記事では、全国に展開している大江戸温泉物語について、成り立ちから2023年秋の最新情報まで解説します。

鬼怒川温泉と近隣の霧降高原には、3つの大江戸温泉物語が運営するホテルがありますので、これらの歴史を紹介することで、大江戸温泉物語のこれまでの歩みを理解することができます。

 

鬼怒川温泉に興味がある方だけでなく、リゾートホテルの歴史に興味があれば楽しんでもらえると思います。参考にしてみてください。

(2023年9月現在の情報です)

 

大江戸温泉物語の誕生

大江戸温泉物語の歴史は、1980年代~90年代前半の世界都市博覧会の中止騒動までさかのぼります。

臨海副都心エリアを再開発するにあたり、その起爆剤と期待されていた世界都市博覧会ですが、すでにバブル経済が弾けてしまい、開催賛成と反対で大きく割れていた時代です。

結果的には、反対派の青島幸男氏が都知事に当選、決断のタイムリミットギリギリで中止を決定という大波乱が起きました。

すでに、かなり整備が進んでいた臨海副都心エリアは行く末が心配されましたが、その翌年から大型商業施設が立ち並び、お台場は一気に全国区の注目エリアとなりました。

 

この世界都市博覧会を予定していた跡地の活用として考え出されたのが、日本初の温泉テーマパークです。数々の企業を立て直した実績のある、キョウデン創業者橋本浩氏が中心となり、2001年に大江戸温泉物語を設立、2003年に「お台場 大江戸温泉物語」を開業しました。

 

鬼怒川御苑

世界都市博覧会でもめていた頃は、高度成長期がひと段落したタイミングです。大企業が競うように大量の新卒採用を行って、日本は欧米と肩を並べる技術大国として存在感が強まってきました。

鬼怒川温泉では、大型の観光ホテルが乱立してきます。

鬼怒川御苑は、古くからのホテルを買収して、1972年「清しき人の宿 鬼怒川御苑」を開業します。増築や改築を繰り返して、1995年には「百花の館」を新築したことで、鬼怒川温泉では、あさやホテル、ホテルニュー岡部に次ぐ1300名規模の巨大ホテルとなりました。

すでに1990年代前半には、バブル経済が終わり、団体旅行の激減、家族旅行や個人旅行にはまったく不向きなホテル構造が逆風となり、2006年に倒産します。

 

鬼怒川観光ホテル

鬼怒川観光ホテルは、岡部ホテルグループが営業していた鬼怒川観光ホテルの別館として、1981年に営業を開始しました。

鬼怒川観光ホテルは、西館、東館、別館という体制で多くの宿泊客に対応していましたが、鬼怒川御苑とはふれあい橋を挟んですぐ向かいの場所に建っています。当時の鬼怒川温泉の中心地であり、そして岡部ホテルグループのブランド力(テレビCM力?)で一大勢力を誇っていたわけですが、やはりバブル経済の崩壊によって、急速に業績悪化しました。

2005年に西館、2008年に東館が閉館、別館も2010年に閉館となります。

 

日光霧降

1996年に「メルモンテ日光霧降」が開業しました。

この施設は、鬼怒川温泉から少し離れた霧降高原に、郵便貯金総合保養施設として建てられたわけですが、かなりざっくりと説明すると豊富な予算で広告塔となるようなホテルを建てた経緯です。

世界的な設計士による特徴ある構造ですが、バブル経済崩壊による景気減速だけでなく、運営自体の弱さも露呈して当初から赤字続き、2007年に売却することになります。

 

大江戸モデルの全国展開

お台場 大江戸温泉物語が軌道に乗り、2007年前後から新しいステージに入ります。

地方にある、経営が苦しいホテルや後継者不在のホテルを格安で買収して、建て直すビジネスモデルを展開します。

売却が決まったメルモンテ日光霧降は、立地の悪さと巨大すぎる建物という売却先が決まらない懸念がありましたが、2007年にいち早く落札して「大江戸温泉物語 日光霧降」として開業します。

2010年には、鬼怒川観光ホテル別館を「大江戸温泉物語 鬼怒川観光ホテル」としてリニューアルオープン、その直後には、倒産した鬼怒川御苑を「大江戸温泉物語 鬼怒川御苑」としてリニューアルオープンしました。

この2つのホテルでは、宿泊客であれば両方の温泉を楽しめる「湯めぐり物語」を無料サービスしています。

この段階で日本各地の15のホテルが、大江戸温泉物語のブランドで展開しています。民主党政権による混乱で、日本経済が低迷している環境ではありましたが、バイキングに代表されるような低価格路線と地元に特化したイベントによって満足度を上げて、人気を確立していきました。

 

外資の参入

次に転機が訪れるのは、2015年です。

大江戸温泉物語は成長を続けている一方で、創業者の1人である橋本浩氏のリーダーシップによる属人的な経営であったことや、採算管理の甘さが弱点になっていました。

アメリカの投資会社、ベインキャピタルが「当社ならもっと大きくできる」と提言。2015年にベインキャピタルに全株式を売却して、構造改革がはじまります。

食材をはじめとした仕入れの見直し、原価管理、アンケート活用、業務効率化、サービス力向上、平日のテコ入れなど、大江戸モデルと呼ばれたビジネスモデルを進化させていきました。

 

2016年には、全国展開を加速するために「大江戸温泉リート投資法人」を設立。世界初の温泉特化型の不動産投資法人として上場を果たします。

これにより、カンタンに表現すると次のような役割分担となりました。

リート投資法人は、投資家から資金を集めて、ホテルを買収、改装してリニューアルオープン、その価値が高まったところで大江戸温泉物語に売却をします。その売却益で投資家に還元する仕組みです。大江戸温泉物語がここまで無借金経営で成長してきたので、資金調達を行う手段として、このようなスタイルを採用しているのだと思います。

大江戸温泉物語は、これまでの延長で全国のホテルを買収、改装してリニューアルオープン、資産価値が高まったところでリート法人に売却、その利益でまたホテルを買収する仕組みです。

2023年夏の段階で、リート投資法人が保有している大江戸温泉物語は11拠点です。

2017年には、大江戸温泉物語が物件の保有会社、大江戸温泉物語グループが運営会社となります。

2018年、大江戸温泉物語グループは、大江戸温泉物語ホテルズ&リゾーツに吸収合併されます。

2021年、お台場の大江戸温泉物語が閉館します。借地権が20年と決まっており、延長できなかったためです。

感染拡大による行動規制が続いた2022年には、ローンスターファンドが、大江戸温泉物語ホテルズ&リゾーツの全株式を取得します。業績の回復はまだ先になりそうですが、外資による経営立て直しは続いています。

 

新ブランドの展開

大江戸温泉物語 日光霧降は、元々が豪華な施設だった強みを活かして、手頃な価格でリゾートステイができる人気のホテルと成長しました。

2023年には、価格帯を上げたTAOYAブランドとして「TAOYA 日光霧降」とリニューアルしました。TAOYAブランドへの転換は、他の大江戸温泉物語でも進められており、旅行の付加価値を高める戦略を強化していると考えられます。

その他の動きとしては、鬼怒川観光ホテルについては、2024年に一時閉館してリニューアル工事を行う予定です。

さらに2024年春を目標に、湯快リゾートとの経営統合を予定しています。湯快リゾートは西日本を中心に展開している低価格路線のホテルチェーンであり、ビジネスモデルは大江戸温泉物語とかなり近い内容です。

2019年以降、ローンスターファンドの出資を受けている点も共通点で、規模拡大によるさらなる効率化を狙ったものです。経営統合してからのブランド名など、まだまだ決まっていないことも多いですが、大江戸温泉物語と湯快リゾートは、持ち株会社「GENSENホールディングス」の傘下に入って、次の成長を目指しているでしょう。

 

 

今回の記事では、全国に39ある大江戸温泉物語から、鬼怒川温泉と霧降高原にある3つのホテルをピックアップして紹介しました。これらの歴史を知っていただくことで、大江戸温泉物語の歴史も感じることができると思います。

参考にしていただけると幸いです。