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【伊東園ホテルズ】から振り返る「鬼怒川温泉発見の歴史」

今回の記事では、鬼怒川温泉に展開する伊東園ホテルズの歴史を通じて、鬼怒川温泉330年以上の歴史を振り返ってみます。

 

伊東園ホテルズ自体は、鬼怒川温泉の成り立ちとは関係ないのですが、閉館や買収の一連の流れで大きく関わってくることになります。

鬼怒川温泉を発見したのは誰なのか?

その後どのように発展したのか?

鬼怒川温泉の歴史、全国でホテル展開している伊東園ホテルズについて、興味のある方は参考にしてもらえると幸いです。

 

鬼怒川ロイヤルホテル

「鬼怒川ロイヤルホテル」は、鬼怒川温泉の入口、南側に位置しており、鬼怒川温泉を利用した方であれば目にしているかもしれません。

テッパンの観光地である「鬼怒楯岩大吊橋」のすぐ隣に建っておりますので、ホテルの滞在を楽しむだけでなく、大自然に囲まれてリフレッシュすることができます。

「鬼怒川ロイヤルホテル」の歴史は、1962年創業の「ホテル正華」までさかのぼります。その後、1972年に「鬼怒川ロイヤルホテル」にホテル名を変えて、現在の場所で営業をしていましたが、2006年に閉館となりました。

その年の2006年に、伊藤ホテルズが買収して、同じホテル名でリニューアルオープンしています。

 

伊東園ホテルニューさくら

「伊東園ホテルニューさくら」は、「鬼怒川ロイヤルホテル」よりも鬼怒川温泉の中心地に位置しており、鬼怒川温泉駅から歩いて行くことができる距離です。

1977年に「鬼怒川ニューさくら」が開業しました。開業時の規模は、現在の本館に該当する建物だけです。

その後2009年になり、伊東園ホテルズが買収して「伊東園ホテルニューさくら」となりましたが、他のホテルの買収も続いて「伊東園ホテルニューさくら」は拡大していくことになります。

 

二葉館

1973年創業の「旅の宿 二葉館」は「ニューさくら」とほぼ同じ敷地に建っていましたが、閉館してその後は「ニューさくら 別館」として活用されることになりました。通路1本だけで繋がっていますが、駐車場から見る限りまったく違和感がなく、別館としての機能を果たしていると思います。

 

鬼怒川温泉の発見と京屋旅館

鬼怒川温泉(当時の滝温泉)を発見したのは誰でしょうか?

記録によりますと、江戸時代の中盤、1691年に沼尾重兵衛を中心に、当時の下滝村の村民6人で湧き出ている源泉を発見したようです。

その後、共同浴場を作り、利用客の増加、相当に羽振りが良くなったようで、他の村民からのやっかみを受けてしまいます。このやっかみが、鬼怒川温泉の歴史に大きな影響を及ぼすのですが

「この村は日光山の御神領だから、温泉は日光奉行所に返納するべき」

という内容でした。

これにより、鬼怒川温泉は日光山の領地、日光奉行所の支配下となります。

鬼怒川温泉は当初、日光詣での諸大名や僧侶のみが入ることが許される温泉だった、という有名なエピソードがありますが、実は村民のやっかみがきっかけという、何ともドロドロした人間らしい背景があったわけです。

 

明治時代になって、次々と温泉が発見されたこともあり、鬼怒川温泉も一般開放されるようになりました。1927年、源泉を発見した沼尾重兵衛の子孫である沼尾武次が、鬼怒川温泉で丸京物産を創業、1949年には「丸京旅館」を開業します。

「丸京旅館」は、「鬼怒川ニューさくら」よりも南側で先に開業していました。しかし、源泉発見の流れを継承して、由緒あるホテルだった「丸京旅館」も、2010年には閉館することになりました。

この建物は買収されて、現在は「ニューさくら 南館」として機能しています。

「伊東園ホテルニューさくら」を見渡すと、自然なレイアウトで南館~本館~別館と連なっており、何も知らずに眺めると最初から3棟構成の大きなホテルなのかな、と思ってしまうでしょう。鬼怒川温泉を気軽に楽しめる観光ホテルとして、現在も営業しています。

ひとつ注意点として、それぞれの建物が外を通る連絡通路で繋がっています。特に真冬の宿泊の際には、本館かそれ以外なのか、よく確認して予約することをオススメします。

 

鬼怒川グリーンパレス

実はもう1つ、あさやグループの「鬼怒川グリーンパレス」という、広大な観光ホテルがあるのですが、こちらも2008年に伊東園ホテルズが買収しました。残念ながら、こちらは2015年のメンテナンス工事を機に休館しており、現在は立入禁止の廃墟寸前の姿で建っています。

建物だけでなく敷地もあまりに広大で、常に団体客で客室を埋めるか、富裕層向けの巨大リゾートとして再生しないと採算が合わないだろうと察します。

 

鬼怒川温泉をさらに北上して、川治温泉と湯西川温泉も見てみましょう。

 

一柳閣本館

「一柳閣本館」は、1934年に開業しました。当時から川治温泉ではもっとも大きなホテルでした。

増築やリニューアルを何度か行いましたが、2008年に閉館。その後、伊東園ホテルズによって買収されて、同じホテル名で営業を継続しています。

ちなみに「一柳閣本館」に続いて、1954年には「一柳閣別館」が中禅寺湖エリアで営業を開始します。こちらは経営者や立地が変更しながら、現在は「奥日光ホテル四季彩」として、リロホテルズ&リゾーツが運営しています。

 

ホテル湯西川

湯西川温泉の入口にある「ホテル湯西川」の歴史は、鬼怒川温泉の発見から少し経った、1718年までさかのぼります。

その地で創業したのは平家の子孫であり、代々引き継いで宿を営んできました。

湯西川温泉には、いくつもの平家の落人伝説が残っており、流れ着いた平家によって源泉が発見されて湯西川温泉の発展に繋がっています。「伴久ホテル」もその1つです。

しかし、高度成長期の終焉、バブル経済の崩壊だけでなく、福島県に隣接していることから、東日本大震災の風評被害を受けてしまい、この日3・11をもって営業終了。閉館に追い込まれました。この時まで、平家25代によって経営されていました。

その後2015年、伊東園ホテルズが買収して「ホテル湯西川」として、現在も営業しています。

 

まとめ

いかがでしょうか。

鬼怒川温泉周辺における伊東園ホテルズの歴史をまとめてみましたが、鬼怒川温泉の源泉発見からその後の発展、湯西川温泉の発祥にも繋がりを持っており、歴史の重みを感じられると思います。

 

 

もし宿泊などで訪れる際には、観光ホテルとして温泉や料理を楽しむだけではなくて、もう一歩踏み込んで、300年以上の鬼怒川温泉の歩みを少しでも感じながら過ごしてもらえるとうれしいです。