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【ホテル三日月グループ】鬼怒川温泉進出の歴史と強さとは?

ホテル三日月グループといえば、CMで耳にしたことがある方も多いでしょう。

日本国内は、千葉県の房総半島と、栃木県の鬼怒川温泉のみで展開している割には、知っている方がかなり多いのではないでしょうか。

 

この三日月グループ、施設やサービスの素晴らしさもありますが、個人的にはどん底だった鬼怒川温泉が、また復活を目指すうえで救世主のような役割を果たしたと考えています。

三日月グループがどのような歴史を歩んで、鬼怒川温泉に進出してきたのか、勝手ながら、創業期~成長期~展開期、の3つのステップで振り返ってみます。

 

【創業期】海風が届くリゾート誕生

三日月グループのルーツをたどると、1910年の房総乗合馬車合資会社の設立までさかのぼります。時は明治時代の後半、近代化に走り出した日本が、だいぶ前を走っていた欧米を追いかけていた頃です。

やがて馬車鉄道から、1919年には三日月自動車合資会社となり、時代の流れに合わせて成長していきました。当時は一族内でドタバタがあったりしながら、1914年には「三日月亭」と呼ばれる宿を経営していたようです。これが後々の三日月グループに受け継がれていたと想像できます。

 

現在に続く三日月グループが誕生したのは、日本が高度成長期に突入していた1961年です。勝浦湾に面したリゾートホテルとして「勝浦ホテル三日月」が誕生しました。

この真夏が似合う、海に面した立地戦略は、三日月グループの特徴であり大きな強みにもなっていると感じます。

同じ年に「小湊ホテル三日月」をオープンします。

遠くに住んでいると、ほとんど同じような立地に思えますが、駅で数えると4つ離れた場所にあり、こちらは内浦湾に面しています。

2つのホテルは、高度成長期やバブル経済のような景気絶好調になっても、必要以上に巨大化したり全国展開するわけでもなく、海に面したリゾートとして人気を集めます。

ここで資金を充分に確保して、次のジャンプを狙っていたのではないでしょうか。

 

【成長期】まさかの鬼怒川温泉に進出

意味を知ってか知らずか、ミレニアムっていう言葉が広がった2000年になり「スパ三日月龍宮城」をオープンさせます。開業したばかりの東京湾アクアライン、この木更津側に位置しており、当初は日帰り専用の施設でした。

その後、ホテル機能が加わり、2002年に「龍宮城スパホテル三日月」のネーミングに変更します。三日月というブランドが確立して、幅広い客層が遊べるリゾートホテルとしてアップデートしました。

 

2009年には、日光鬼怒川温泉に「きぬ川ホテル三日月」がオープンします。

バブル崩壊によって、日本全国の温泉観光地が大ダメージを受けていた1990年代。さらに2003年になると、積極的な観光融資によって債務超過になった足利銀行が国有化してしまいます。

それまでの足利銀行は、運転資金が厳しい温泉ホテルに対して、さらに融資をすることでどうにか地域経済を支えていましたが、当然ながら一時しのぎどころか債務が膨らむばかりです。そして国有化したことで、ずぶずぶの関係でどうにか持ちこたえていた温泉ホテルは、2005年頃からどんどん閉館していくことになります。

鬼怒川温泉で強力に展開していた岡部ホテルグループも、そのひとつでした。

岡部ホテルグループは、温泉地一帯に巨大ホテルを乱立することで、急拡大していましたが、団体旅行の激減によって衰退していきました。

運営していた当時の鬼怒川観光ホテル3館は、西館は取り壊し、東館(下写真)は廃墟となり放置され、別館は現在、大江戸温泉物語グループとして運営されています。

そして最大規模で、鬼怒川温泉の中心地で存在感を放っていたのが「鬼怒川ホテルニュー岡部」です。キングパレスとクイーンタワーの豪華2本立ての巨大ホテルでしたが、景気は低迷、維持費だけでも相当なコストがかかることは中学生でもわかります。この規模のホテルは、かなり難易度の高い経営手腕が必要ではないでしょうか。

岡部ホテルグループが撤退して、引き継ぐ会社がなく、もし廃墟となって放置されてしまったら、鬼怒川温泉のイメージは目も当てられない惨劇になったと想像できます。

地元民目線で振り返ると、シーサイドでバカンスの三日月グループが参入することに、かなり驚いた記憶があります。鬼怒川は断崖絶壁の景観がウリなので、リバーサイドでワイワイ遊ぶようなエリアではありません。

それでも、施設や鬼怒川温泉のポテンシャルを見抜いて進出を決めたことは、数字では表せないようなプラス効果がありました。

個人的な考察ですが、駅前通りが鬼怒川温泉の中心地として生き残れるかどうか、その分かれ道になったと考えています。

 

話は脱線しますが、この間にあったトピックとして、黄金風呂の盗難事件を紹介します。

1件は、2007年に小湊ホテル三日月で起こりました。時価1億2000万円相当の18金製の黄金風呂が丸ごと盗まれる事件が起きました。大浴場でガラスで囲われており、地上10階にあったため、外階段から屋上に運ぶしか方法はなく、当時のワイドショーでも大々的に取り上げられましたが、謎のまま時効となってしまいました。

心機一転のためではないと思いますが、市町村合併に合わせてこの年に「鴨川ホテル三日月」と名称変更しました。

さらに2013年にも「勝浦ホテル三日月」において、黄金風呂の一部が剝がされてしまう事件が起きました。工具で18金の部分を剥がして持ち去った事件ですが、こちらも真相は謎のまま時効を迎えました。どちらの事件も大浴場で行われているので、相当なリスクがあったと思いますが、どんな方法で持ち去ったのか気になるところです。

 

【展開期】まさかの海外進出

話は10年以上が経過して、2020年に「きぬ川ホテル三日月」は「日光きぬ川スパホテル三日月」と名称変更します。温泉旅館としての利用目的はもちろん、スパリゾートとして日帰りから連泊まで、客層問わずに過ごせるのが大きな強みとなっています。

 

また2022年、創業期の2件「勝浦ホテル三日月」と「鴨川ホテル三日月」は、ホテルマネージメントインターナショナルに事業承継をして、それぞれ「三日月シーパークホテル勝浦」と「三日月シーパークホテル安房鴨川」とリブランドしています。

ホテル名が長すぎるとか、どういう風に略すのか気になるポイントも多いのですが、注目したいのは「三日月」のブランド名をしっかり残していることです。

経営の選択と集中を進めた結果の事業承継だと察しますが、実際にこの年、ベトナムに「ダナン三日月」をオープンしました。

ダナン湾を見渡す立地に、日本型の高品質なサービスを提供することで、日本文化を海外に知ってもらおうという、大きなチャレンジです。

 

三日月の強さ

素人目線ではありますが、三日月グループの強みを3つにまとめてみます。

強み① 立地にこだわり

三日月、といえば海に面しているイメージが強烈です。鬼怒川温泉はニュー岡部を引き継いだこともあって例外ですが、このイメージ戦略がうまく機能していると感じます。これは強み②にも繋がります。

強み② むやみに全国展開しない

三日月の賑わいや認知度を考えると、全国展開できる実力は充分にあると感じます。

特に、高度成長期以降の人口増加、リゾートブームにあっても、団体旅行に特化するわけでもなく、あちこちの温泉地に浮気するわけでもなく、仮に遠くても「そこまで行かなきゃ三日月で過ごせない」という希少価値が高さが、独特の存在感を発揮しています。

結果的に創業当初から、選択と集中がされていることは、見習うべき経営スタンスです。

強み③ 地元貢献度が大きい

日光のスパホテル三日月には、なんと日光東照宮の分霊が祀られています。

2020年に全館リニューアルをして「日光きぬ川スパホテル三日月」と名称変更したタイミングで、カンタンに表現すると、東照宮の分霊をいただきたい提案をしたところ、正式に宮司の許可を得て実現したものです。もちろん、タダで実現するわけないですし、相当なプロセスを踏んでいると思いますが、それでも「鬼怒川三日月神社」と称して建立してしまうところに、相当な決意を感じます。

木更津のスパホテル三日月、ベトナムのダナン三日月については、詳しい方に教えていただきたいのですが、ネット等で見る限りは「自分達のホテルだけ集客できればいい」という姿勢が感じられない点は好感が持てます。

 

 

いかがでしょうか。

決して高級路線ではなくても、ブランド戦略がうまくハマって、1件もスクラップすることなく現在に至っている三日月グループについて、私なりにまとめてみました。

これからの観光旅行、リゾート計画に参考にしてもらえると幸いです。