tochipro

キャリア・短編小説・NIKKO・Fukushima

【金谷ホテル】現存する日本最古のリゾートホテルの歩み

日本各地に展開しているリゾートホテル、その元祖が日光にあることをご存じでしょうか?現存する日本最古のリゾートホテル、金谷ホテルの歴史を紹介します。

「なぜ日光でリゾートホテルが生まれたのか?」

「明治以降の日光はどのように発展していったのか?」

日光旅行の際はもちろん、日本の観光について深掘りして知りたい方の参考になると思いますので、ぜひ最後までお付き合いください。

 

外国人観光客に注目された日光

金谷ホテルの歴史は、江戸時代が終わり、明治維新を迎えた頃までさかのぼります。徳川家康が神として祀られたことで、聖地として最盛期だった日光は、徳川幕府が倒れたことで一気に衰退していきました。

この頃の外国人は外交官など、限られた人しか国内旅行ができない状況でしたが、明治3年(1870)に、英国公使のハリー・パークスが、かつての栄光を聞きつけて日光を訪れます。

その後、英国公使館書記官であったアーネスト・サトウが合計4回も日光を訪れ、日光の様子を横浜の英字新聞で紹介しました。ここで日光は、自然が美しい、東照宮が素晴らしい、避暑地として最適である、のように、今でいうインフルエンサーのように紹介したことで、観光地日光の評判は、主に外国人に広がっていきました。

金谷ホテルが誕生したのは、まさにこの時期です。

明治3年(1870)に、医師であり宣教師でもあったヘボン博士が日光を訪れます。その際に宿泊する先が見つからず、東照宮で演奏する楽人だった金谷善一郎が自宅に泊めたことから歴史が動き出します。

ヘボン博士は将来を見据えて、金谷善一郎に外国人向けホテルの開業を勧めます。

金谷善一郎は、日光を訪れた外国人を泊めるサービスを行っていたことがバレてしまい、東照宮をクビになってしまうアクシデントがありますが、明治6年(1873)に金谷カッテージ・インを開業します。ここで外国人観光客に全振りして、ホテルサービスを開始したことはかなり大きな決断だったと察します。

翌年、明治7年には一般外国人の国内旅行が許可されて、多くの外国人観光客が訪れるようになります。明治11年には、辛口で知られる旅行作家、イザベラ・バードが金谷カッテージ・インに宿泊して、当時のおもてなしを絶賛しています。

明治23年(1890)には国鉄日光線が開業して、上野と日光が結ばれたことで、アクセスが飛躍的に向上しました。

 

金谷ホテルの誕生

明治26年(1893)現在建っている地に、金谷ホテルを開業します。

日本の観光リゾートの最前線であった日光は、金谷善一郎と長男の眞一によって、当時としては様々なチャレンジをしていきます。

ホテルで使う電灯のための自家用水力発電所は、金谷眞一自らが現場監督となって建設する力の入れようでした。

またフォードから中古車を購入して自動車会社を設立、送迎や観光に活用するなど、現在では当たり前のサービスを導入しています。

昭和3年(1928)に、現在に続く金谷ホテル株式会社が設立されます。

世界恐慌が起きた昭和4年(1929)には、東武日光線も開通して、首都圏から日光へ大量の観光客を運ぶ「国鉄VS東武鉄道」という時代に突入します。

 

鬼怒川と中禅寺湖への進出

その頃、東武鉄道は日光線から分岐して鬼怒川温泉の方面にも進出します。

数件の温泉旅館が営業しているだけの鬼怒川温泉でしたが、当時の東武鉄道社長、根津嘉一郎が金谷眞一に大型ホテルの建設を提案します。このホテルが現在の鬼怒川温泉ホテルであり、昭和6年(1931)に開業、営業権は眞一に譲渡しました。

これによって、金谷グループは日光方面と鬼怒川方面でリゾートホテルを展開することになり、昭和28年には鬼怒川温泉ホテル株式会社が設立、金谷ホテルとは別会社の運営となりました。

昭和44年に、金谷ホテル観光株式会社と社名変更、昭和53年(1978)には高級リゾートホテル、鬼怒川金谷ホテルを開業します。

発祥の地であった金谷ホテルは、新渡戸稲造や夏目漱石といった学者や文豪、さらに、アインシュタイン、ヘレンケラー、ガンジーといった海外の著名人が宿泊するほどのブランド力を確立していきながら、避暑地である中禅寺湖にも展開していきました。

昭和15年(1940)に、中禅寺湖そばに日光観光ホテルを開業します。

日光世界遺産のエリアが賑やかになってきたことで、外国人観光客はさらに日光の奥地へと進出して、中禅寺湖は各国の要人が集まる一大リゾートとなっていきました。

ある意味、混雑から逃げるように中禅寺湖が栄えていき、この周辺にも別荘やホテルが立ち並ぶようになります。

日光観光ホテルはやがて、昭和40年(1965)に中禅寺金谷ホテルと名称変更しました。

 

現在の姿へ

昭和時代には、高度成長期を経て自動車社会に変わり、バブル経済とその崩壊による景気低迷を味わいました。

中禅寺金谷ホテルは、新築工事とバブル崩壊が重なったことで、大きな打撃を受けて金谷ホテルグループ全体の苦境に繋がっています。その後に創業家が退いて経営再建に取り組みましたが、2016年より東武グループ傘下となりました。

金谷ホテルは、東武鉄道との相乗効果を活かして、クラシックホテルのシンボル的な役割を果たしています。

 

鬼怒川温泉の黎明期から増改築を繰り返し、大型観光ホテルとして営業していた鬼怒川温泉ホテルは、結旅をテーマに平成22年(2010)に大幅リニューアルを行って現在に至っています。

高級路線の鬼怒川金谷ホテルは、平成24年(2012)に「ジョン・カナヤが愛した渓谷の別荘」とテーマにリニューアルしています。鬼怒川温泉駅からも歩いて行けるロケーションにあり、上質な体験を提供するリゾートホテルとして存在感を放っています。

金谷ホテル観光が営業する2つのホテルも、バブル経済の崩壊による経営危機がありましたが、再生機構の支援を受けて、現在では鬼怒川温泉を代表するホテルの一角となっています。

 

 

今回の記事では

「なぜ日本最古のリゾートホテルが日光にあるのか?」

を中心に、その後の150年を駆け足で振り返ってみました。

明治維新にはじまり、様々な西洋技術の導入、日本の成長とその後の絶望を見つめてきた金谷ホテルグループを知ることで、観光業全体の動きも知ってもらえるのではないでしょうか。

ぜひ観光地日光が、また世界有数のリゾートとして世界中で評価される日を楽しみにしたいと思います。