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バブル崩壊後に急成長【伊東園ホテルズ】日本中を席巻した強さとは?

バブル崩壊の時代に、格安を武器に急拡大した伊東園ホテルズをご存じでしょうか?

なかなか景気が良くならず、旅行にお金をかけられない雰囲気の日本で、救世主として誕生した伊東園ホテルズとは、一体何者だったのでしょうか。

その成り立ちから、2000年代は「温泉ホテルの再建王」と呼ばれた伊東園ホテルズの強さ、鬼怒川温泉をはじめとする栃木県内のホテルを紹介します。

 

伊東園ホテルズの誕生

パチンコ店などを経営していた在日韓国人、李支宗(りししゅう)氏が、カラオケ事業に進出したあたりから、物語はスタートします。1989年に一号店、1994年には現在に続く「歌広場」を本格的に展開していきます。

当時のカラオケはレーザーディスクが主流でしたが、通信カラオケが登場したタイミングでした。この通信カラオケは、現在の聞き放題サービスのように、無限のような曲数、さらには運営コストが極端に低いことに注目して「これはいける!」と確信したようです。

深夜の娯楽のイメージが強かったカラオケですが、安心して低価格で楽しめる前金制、ソフトドリンク飲み放題を業界初導入、テナント料が安い2階以上への出店など、歌広場は数々のチャレンジが評判を呼び、急拡大していきます。

 

転機は2001年に競売に出されていた、伊東園ホテルの購入です。

当初は社員の研修所として活用することを考えていたようですが、その後に「もったいない」という気持ちが芽生え、カラオケ事業の経験を活かして独自スタイルのホテルを運営してみようと思い立ちます。

 

独自戦略と急拡大

一躍有名になった歌広場は、安いテナント料にすることで低価格を実現、飲み放題がカラオケのイメージを変えて大成功を収めていたわけですが、これをヒントにホテル事業にも応用させていきます。

・バブル崩壊で閉館した巨大ホテルを購入

・1年中1泊7800円の同一料金

・カラオケ無料

・囲碁や将棋の貸し出し無料

・バイキングによる食べ放題

・仲居を配置しない徹底した人件費削減

このようなビジネスモデルは、不景気になり節約に敏感、でも旅行には行きたい、というニーズにハマり、大旋風を起こしました。

カラオケ事業の完コピというわけではなく、どうすれば宿泊客が喜ぶのか、リピートしてくれるのか、かなり考え尽くされていたと感じます。

 

わずか4年で20館を超えるまでに成長して、2000年代に入ると、鬼怒川温泉をはじめとして、栃木県内の温泉地にも積極的に進出していきます。

グループ会社において存在感が大きくなったホテル事業は、2014年に株式会社伊東園ホテルズとして運営するようになり、現在に至っています。

ここからは、栃木県内に展開している伊東園ホテルズを紹介します。ただの低価格ホテルには収まらない、歴史の深さや温泉ホテルとしての魅力があります。

 

伊東園ホテルニューさくら

正面に建つ本館は、1977年に開業した鬼怒川ホテルニューさくらが前身です。

閉館後の2009年から、伊東園ホテルズとなりました。まるで最初から3館体制だったかのように建物が並んでいますが、実は3館とも別々の会社でした。

両脇のホテルも買収して、2010年から、別館と南館も合わせた現在の形になりました。

なんとこの南館の歴史は、330年前の1691年までさかのぼります。

鬼怒川温泉の源泉発見で知られる、沼尾重兵衛をルーツに持つ丸京旅館だった事実は、もっと知られてもいいんじゃないかなって思います。

 

鬼怒川ロイヤルホテル

1962年開業のホテル正華、その後、1972年に鬼怒川ロイヤルホテルとなり、2006年から伊東園ホテルズとなりました。

鬼怒川温泉の玄関とも言える場所にあり、天気さえ良ければ、ほぼ直結のような鬼怒楯岩大吊橋での散歩もおすすめです。

 

一柳閣本館

1934年に開業した一柳閣本館は、2008年から伊東園ホテルズとなり、現在もそのホテル名を引き継いでいます。

100年弱の歴史、存在感抜群の大きさ、川治温泉といえば一柳閣本館をイメージする方も多いと思います。すぐ隣には川治ふれあい公園があり、無料の足湯や河原の景色を楽しめることもポイントです。

 

ホテル湯西川

ホテル湯西川の歴史は古く、1718年に開業した伴久ホテルが前身です。

湯西川温泉自体が、源氏に壊滅させられた平家がたどり着いた場所として、数々の伝説が残っています。その平家をルーツに持つ一族は「平」と「人」を合体させた「伴」を名乗っているようですが、伴久ホテルもそのひとつです。

平家が逃げた先だっただけあり、アクセスが悪すぎる立地ですが、300年以上の歩みがあったことは、声を大にして伝えたいくらいの歴史的な価値です。バブル崩壊からの不景気、さらには東日本大震災の風評被害が追い打ちをかけて、2011年に閉館。

2015年から伊東園ホテルズが運営しています。

 

伊東園ホテル塩原

塩原温泉に建つ伊東園ホテル塩原、その前身はクアホテル寿苑です。

クアホテルというネーミングにも表れていますが、温泉風呂にはかなりのこだわりがあるホテルでしたが2008年に閉館。その年から伊東園ホテルズとなります。

 

ホテルニューもみぢ

他の伊東園ホテルズと比べても、ひと際豪華な建物ですが、その前身は栃木県市町村共済組合による温泉保養所でした。当時の実態はよくわかりませんが、おそらく税金によって建てられた公務員向けの施設だったのかもしれません。そういった建物に必要以上にお金がかけられたのは、高度成長期あるあるです。

さらに前、宝の湯と呼ばれていた当時には夏目漱石が訪れており、なんとなく立地や雰囲気が文豪向けだっただったのかな、と勝手に想像しています。

 

 

まとめ

東日本には当たり前のように展開している伊東園ホテルズ、歴史を振り返ってみると面白さも感じてもらえるのではないでしょうか。

変化の激しい時代に、これからどのような成長をしていくのか、改めて注目したいと思います。