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【日光ウェスタン村】2006年休園から現在はどうなっている?

日光の市街地から鬼怒川温泉に向かうと、突如現れる大きな顔?

SL大樹もインパクトすごいですが、こちらもなかなかです。

このテーマパークの名前はウェスタン村。

2006年12月に休園してそこから18年、もう覚えている方も少なくなってしまったのではないでしょうか?

かつては、日光江戸村、東武ワールドスクウェアと並んで、鬼怒川の3大観光地とまで言われていたウェスタン村に今どうなっているのでしょうか?

現在は立入禁止になっているので、外からしか見られませんが、その様子と歴史を振り返ってみましょう。

 

鬼怒川ファミリー牧場の誕生

このウェスタン村には前身があり、1973年(昭和48年)に開業した鬼怒川ファミリー牧場からスタートしました。

鬼怒川温泉の入口、国道からすぐ脇という抜群のロケーションでした。

鬼怒川温泉でホテル経営をしていた大南兼一氏が、バーベキューなどを楽しめる観光施設をオープンしたわけです。この大南氏には、当初からアメリカに対する興味や憧れがあったようで、徐々にウェスタンショーやスリラーハウスを導入していきます。

 

ウェスタン村にアップデート

そしてついに、1982年(昭和57年)に、ウェスタン村に名称を変えてしまいます。これには従業員の反対も大きかったようですが、大南氏の強い意志でリニューアルします。

この戦略は見事にハマり、当時はまだ珍しかったテーマパークとしての存在感を増していきます。

高度成長期から1980年代後半のバブル経済にかけて、団体旅行がブーム、日本各地の観光地が一気に開発されていきました。もちろん、鬼怒川温泉もこのタイミングでまさに実力以上に拡大して、東京から2時間圏内の巨大ホテル温泉街、という立ち位置を確立していきました。

またこのタイミングで、爆風のような追い風が吹いてきます。

翌年の東京ディズニーランド、長崎オランダハウス(現在のハウステンボス)の開業です。それまでのファミリー層の典型的な遊び方は、近くの遊園地や動物園のように、その地域に根付いた場所で遊ぶのが主流でした。

しかし、テーマパークの登場によって、キャラクターや世界観に惚れ込んで、わざわざ遠くに遊びに行ってその世界に没頭する遊び方も広がっていきました。

偶然かもしれませんが、この動きに先立って鬼怒川温泉にウェスタン村という、古き良き時代の、アメリカを描いたテーマパークとして営業を開始しました。

これが景気の流れにも乗って、年間70~80万人の観光客を呼び込んだようです。

鬼怒川温泉全体の客数ピークが300万人台であったことを考えると、温泉利用との相乗効果もかなり大きかったのではないでしょうか。

結婚式、ホテル、火を使ったウェスタンショー、どんどん増えるアトラクション、とにかく何をやっても当たっていた時代だと思います。

 

バブル崩壊から休園へ

1990年から91年にかけてバブル崩壊が起きて、徐々に日本は失われた10年、20年に突入していきます。

バブル崩壊後も当面は、地元のメインバンクであった足利銀行が後先考えずに融資することで鬼怒川温泉は持ちこたえていたのですが、2003年の足利銀行国有化で一気に流れが変わっていきました。

鬼怒川廃墟群と呼ばれる、多数のホテルが閉館したのも国有化以降が目立ちます。

 

それまでの間に、ウェスタン村では1995年に「マウント・ラシュモア」が建設されました。

大南氏がアメリカで実物を見た際に、その場で「ウェスタン村にも作ろう」と決断したようです。すでにバブル崩壊を迎えていた状況でしたが、迷うことない決断には、相当の思い入れがあったのでしょう。

実物の1/3スケールながら、かなりの存在感があります.

本家アメリカのマウント・ラシュモア(ラシュモア山)は1941年に14年かけて完成しました。

左から順に、初代ジョージ・ワシントン、3代トーマス・ジェファーソン、26代セオドア・ルーズベルト、16代エイブラハム・リンカーンといったアメリカ史に残る大統領が高さ18メートルの大きさで彫刻されています。

この地は、先住民であるインディアン(ネイティブアメリカン)と激しい争いが起きた場所でした。偉大なインディアンの聖地を守る条約があったのですが、金脈が見つかったことにより条約を一方的に破棄してしまいます。さらに、歴代大統領の巨大な彫刻を造ることによって、まるで挑発するかのように、アメリカ合衆国の成立、発展の象徴にしてきた経緯があります。

舞台は鬼怒川に戻り、25億とも27億とも言われる建設費をかけて、こちらにもコンクリートで造られたマウント・ラシュモア。ウェスタン村では「インディアン嘘つかない」のCMでバンバン売り出していたわけで、このあたりの歴史的な背景は気にしていなかったのかもしれないですね。

結果的には、その後も客数が回復することもなく、2006年に休館。

当初は設備メンテナンスのため、という理由でしたが翌年には休館の延期。さらには従業員の解雇が報道されて現在に至ります。

 

まとめ

過去のYouTube動画では、中に侵入して撮影しているものも多いですが、現在は立入禁止になっています。敷地の一部は木材の置き場となっており、バイオマス発電の計画もあったようですが、地元の反対があり実現しなかったようです。

テレビCMや鬼怒川温泉の知名度が高まったことで、人気観光地だったウェスタン村ですが、なぜ現在は廃墟同然になってしまったのでしょうか。

振り返れば何とでも言えるわけですが、個人的にこの経緯を調べてみると、最大の敗因は「過去の成功体験」と考えられます。

偶然にも、テーマパークの先駆けとなり、人口増加、観光ブーム、鬼怒川温泉の発展に後押しされて人気を獲得してきたと思います。

この大きな成功体験があったことで、バブル崩壊後もマウント・ラシュモアの建設をしてみたり、まったく新しい打ち手を考えることができなかったのでしょう。

アタマを冷やして考えてみると、自然や歴史に価値がある日光と、アメリカ開拓時代の相性が良いはずもなく、もし外国人観光客が見たらどのように受け止めたのか微妙なところです。

 

 

場所も良いだけに、何かしら再活用できる道が見つかればいいのですが、皆さんはどう思いますか?

最後までお読みいただき、ありがとうございました。