徳川家康が眠り、日本を見守る神として祀られている日光東照宮。この経緯はよく知られていますが「家康は生前、日光に一度も来たことがない!」という事実は、意外に感じられるのではないでしょうか。
わざわざ家康が遺言で、縁もゆかりもない日光を選んだ理由とは何だったんでしょうか?
そしてその結果、独特な歴史を歩んできた聖地日光において、日光東照宮が人気観光地へと成長したポイントを考察してみます。
唯一無二の聖地となった日光

日光の歴史は、眼前に広がる山を崇拝していた慣習からはじまります。
日光に限らず太古の日本では、高く連なる山には、神々が宿っていると信じられてきました。日光においても山岳信仰を中心とした神教が根付き、そこに6世紀の半ば、中国から渡ってきた仏教が滑り込んできました。
日本ではひとりの神を信仰する考え方はなく、ここ日光においては、神教と仏教が何となくミックスされて、人々を見守っているという宗教観が定着しました。
近代以降、神教と仏教のふたつの信仰は、同じものとして扱われたり、まったく別なものに切り分けられたり、政治的な混乱に巻き込まれました。
この数十年の経緯があって日光では、神教パートを担う日光東照宮、日光二荒山神社、仏教パートを担う輪王寺(下写真)や大猷院などが一堂に会する、奇跡的なエリアが完成しました。

世界遺産である「日光の社寺」または「二社一寺」は
・神を祀る神社として日光東照宮と日光二荒山神社
・仏を祀る寺として輪王寺
その他にもたくさんの神社と寺が密集している、唯一無二の聖地を指している表現です。この後に解説しますが、日光東照宮で祀っている御神体が徳川家康であることが大きな特徴です。

日光東照宮は完全に後発でデビューしたわけですが、その家康が日光を選んだ理由はなぜでしょうか。
家康が亡くなる800年以上も前、西暦700年代の日光では、宗教的に大きなふたつの出来事が起きました。
ひとつは、仏教の修行をしていた勝道上人が、766年に日光二荒山神社(当初は本宮神社)、輪王寺(当初は紫雲立寺)を建てたことです。男体山の神を祀る祠を建てたことで、聖地日光のブランディングがはじまりました。
もうひとつは、782年に同じく勝道上人が、その男体山の登頂に成功したことです。

男体山(当時は二荒山)は、日光でもっとも標高が高い山であり、山岳信仰のシンボルのような存在でした。3回目の挑戦の末に、男体山の登頂に成功した勝道上人は、男体山の麓、中禅寺湖の周辺にも神社や寺を造ります。
こうして勝道上人の無双のような活躍によって、神教と仏教が超接近戦のようにぶつかり合った、パワースポットが完成しました。他に例を見ないスタイルの聖地日光は、数百年後の徳川家康にとっても特別な存在となったわけです。
余談ですが、勝道上人が男体山を目指す際に、川の流れが激しく渡れないことがありました。その時に、神や仏に祈ったことで大きなヘビが橋を渡しました。この橋が「神橋」で、世界遺産の入口となる場所に再現されています。
聖地日光への憧れ

782年に勝道上人が男体山に登頂して、日光は日本を代表する聖地となりました。
鎌倉時代には、厳しい修行をする場として栄えており、わかりやすく表現すると、修行をする身にとって日光は、一度は挑戦したい憧れの地であったと察することができます。
その後、江戸幕府を開いた徳川家康の側近であった天海によって、日光東照宮が建てられます。
徳川家康の死後にその遺体は、一時は久能山(下写真)に納められましたが、その後に日光に移ります。これは徳川家康の遺言によるものです。その遺言は

「遺体は久能山に納め、その後に日光に移すように。そうすれば日本全土の平和の守り神となる」
といった内容でした。このことからも、日光が古くから特別な存在であったことがわかります。
修行の場として注目されていた日光は、日光東照宮で徳川家康が神として祀られることによって、また新しい役割と価値が生まれました。
家康にとっても特別な存在だった

日本は12世紀末に、貴族社会から武家社会に大きく政治体制が変化しました。
武士による政治支配の時代が続き、特に15世紀末から16世紀末にかけては、戦国時代と呼ばれる、日本全国の武士が領土を争う時代がありました。豊臣秀吉による日本全国の統一もこの時代です。
この400年前後も続いた混乱の時代を治めたのが、日光に眠る徳川家康です。
家康は、豊臣秀吉の死後に江戸幕府を樹立して、その後260年もの間、徳川家による平和で安定した体制を構築しました。
武士による激動の時代を生き抜いて、徳川家康が最後にやっと築いた江戸幕府です。そこには家康の平和に対する強い願いと、それを実現するための強力な体制が完成しました。
200年以上にわたり、国内戦争や国外戦争がなかったことは、世界史で考えても珍しい時代ではないでしょうか。
最初に家康の遺言に沿って作られた日光東照宮は小規模でしたが、家康を敬っていた江戸幕府3代目、徳川家光によって豪華絢爛な姿となりました。

有名な陽明門(上写真)の装飾には、平和へのたくさんのメッセージが込められています。
日光東照宮が人気観光地となった理由
日光東照宮が、日本有数の観光地となった理由を3つにまとめると
・日光の神々と仏教が合体した聖地だった
・参拝や修行する者にとって憧れの地となった
・平和を実現した徳川家康が神として祀られた
この3つの理由によって、日本全国のどの神社とも異なる存在感を示しています。

ぜひ日光に遊びに行く際には、これらの歴史を思い出して体験してもらえると、より楽しい旅行になると思います。
最後までお付き合い、ありがとうございました。