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廃線から66年【東武矢板線】東西の大動脈になれなかった鉱山鉄道

東武矢板線という鉄道路線をご存知でしょうか。

現在でいう東武鬼怒川線と東北本線を東西に接続するような形で、SLが毎日走っていた時代がありました。

廃線から66年、走っていた頃の風景や9つあった駅が現在どのようになっているのか、その様子を紹介したいと思います。

ぜひこの記事を通じて、昭和という時代に想いを馳せてもらえたら幸いです。

 

高徳駅

矢板線は現在の東武鬼怒川線、新高徳駅から枝分かれした路線でした。

鬼怒川温泉の入口である高徳駅、現在の新高徳駅には機関庫などもあったようで、それなりの規模だったと思われます。ここから出発して、矢板駅に向かってドライブしましょう。

県道77号線を横切り、左手には山、右手は住宅街という生活道路を直進します。このあたりは、線路だった場所がそのまま道路に切り替わったような雰囲気です。

途中で車道は行き止まりになりますので、その先は廃線跡を歩いて進みます。

この先に沢があるのですが、手前側にも向こう岸にもかなり大きな橋の痕跡が残っています。

川を渡ったあたりから、日光市を出て塩谷町に入ります。

この付近(上写真)で廃線跡は途切れてしまいます。このあたりにも大きな橋が架けられていたのではないでしょうか。川を渡った先から再開します。

もうすぐ西船生駅の跡地に到着します。

 

西船生駅

地形としての面影は残っている気がしますが、建物があった形跡は残っていません。

西船生駅を出発して、船生駅に向かいます。

今回紹介している過去の資料は、塩谷町芦場新田自治会が作成した「塩谷町を走ったSL」を参考にさせていただきました。

 

船生駅

船生駅に到着しました。コンクリートの基礎部分がしっかり残っていて、かなり大きな駅だったことが想像できます。

船生駅を出て、続いては鉱山で栄えた天頂駅に向かいます。

矢板線は今から101年前、大正13年(1924年)に高徳駅から次の天頂駅まで開通しました。

この当時の日本では急激に電力のニーズが高まっており、豊富な水量や地形、そして首都圏に近いことも幸いして、水力発電所を鬼怒川に建設する案が浮上しました。

こうして実際に水力発電所とダムを建設することになり、大量の資材を運ぶために鬼怒川温泉付近まで馬車鉄道を活用していました。

やがて下滝発電所と黒部ダム(上写真)が完成したことで、輸送手段だった馬車鉄道は不要となるはずでした。ここで廃線が決定していたら矢板線の登場はなかったでしょうし、その後の鬼怒川温泉の発展も起きなかったかもしれません。

ここで地元の有志が動きます。せっかく敷いた線路なので何とか活用の方法を考えて、下野電気鉄道が開通。これが現在の東武鬼怒川線の原型となりました。

その下野電気鉄道により、東に分岐する形で矢板線が誕生しました。

鉱山開発が進んだことにより、鉱石や周辺の木材の運搬を目的として、まずは高徳駅から次の天頂駅までの線路が建設されます。

その後、東武鉄道の援助を受けながら矢板駅まで延伸することになります。

昭和18年(1943年)に下野電気鉄道は東武鉄道に買収されて、東武矢板線としての運行となりました。

昭和恐慌やバスとの競合、さらには運搬以外に利用する住民も少なく、当初から経営的にはかなり厳しい状況でした。最後まで電化されることはなく、蒸気機関車の路線のまま、昭和34年(1959年)に廃線を迎えることになりました。

 

天頂駅

天頂駅があった場所に到着しました。近くには天頂鉱山があり、ここから多くの鉱石を運び出していたようです。過去のコメントをありがたく参考にさせていただきましたが、公民館のあたりだったようです。

天頂駅を出発して、同じく鉱山で栄えた芦場駅に向かいましょう。

 

芦場駅

矢板線全体のおよそ中間にある芦場駅は、こちらもしっかり基礎部分が残っており、看板で表示してくれています。芦場新田の表記がありますが、当時は芦場駅という名称でした。

芦場駅の周辺は、ちょっとした街が形成されていました。

付近の日光鉱山で産出された鉱石を運んでいたわけですが、駅周辺は数百人単位の集落となり、ひとつの地域として成り立っていたようです。

芦場駅の左側には社宅が並び、駅正面から鉱山まで手押しのトロッコが往復していました。グラウンドでは野球大会や盆踊りが開催、その他にもスーパー、映画館、床屋など生活に必要なものがひと通り揃っていたのは驚きです。

芦場駅を出発して、玉生駅に向かいます。

 

玉生駅

玉生駅までの路線は、区画整備によって跡形もなく消えてしまっています。追いかけるのは難しいのですが、おそらく下写真のあたりが玉生駅があった場所だと思います。

玉生駅を出発して、柄堀駅に向かいます。

川の先まで迂回して進むと、そろそろ柄堀駅に到着です。

 

柄堀駅

柄堀駅があった付近です。この分岐のあたりが駅があった場所のようです。

現在の境界線でいうと、この先は矢板市に入ります。

かなりわかりにくいのですが、ガードレールが目印となって、ここにもトンネルがあります。

矢板トンネル、弥五郎坂トンネル、お化けトンネルなど、色々な呼び方があるようですが、廃線となった後もしばらくは一般道のような使われ方をしていました。数十年も放置されていますので、いずれ森に飲み込まれてしまいそうです。

 

この先は途中から道路がでこぼこになり、横からの草木もすごいことになっています。クルマであっても歩きであっても、訪れるのは春夏を避けた方が良さそうです。

もうすぐ幸岡駅です。

 

幸岡駅

 

幸岡駅は、はっきりと駅があったことを示す目印が立っています。

9つの駅それぞれに同じような目印があると、矢板線の存在感が何十年先も残ると思うのですが、開発も進んでいくので、風化してしまうのはしょうがないのかもしれません。

それでは、終着駅である矢板駅に向かいましょう。

 

矢板駅

矢板駅に到着しました。こちらの写真は、最終日に地元の高校生より花束を贈呈されている様子です。矢板駅のあった場所は、現在の駐輪場になっているようです。

残念ながら、その痕跡は見られませんが、ここまでSLが走っていたことになります。

鉱山の衰退、沿線住民の少なさ、観光資源もないことで、残念ながら矢板線は66年前に廃線となってしまいました。

 

 

その廃線跡、23.5kmはいかがでしたでしょうか。当時を懐かしんでもらったり、走っていた頃を想像してもらえたらうれしいです。