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戦後80年だからこそ訪れたい【日光湯元温泉】あまりに遠いことに価値がある秘湯

日光が誇る数々の観光地、日光東照宮、いろは坂、中禅寺湖、戦場ヶ原を通り過ぎて、最終地点のような場所にある日光湯元温泉をご存じでしょうか。

そんなに頑張って遠くまで行かなくても、市内にはいくらでも温泉街はあるのですが、日光市街地から40kmも離れた場所に行く魅力とは、いったい何なのでしょうか?

今回の動画では、歴史、環境、泉質で唯一無二の魅力をもつ湯元温泉を紹介します。

ぜひ最後までお付き合いください。

 

1200年の歴史

湯元温泉は、開湯1200年以上の歴史があり、昭和初期には、国民保養温泉地の第一号にも選ばれるほどの良質な温泉、そして美しい湖に面した静かな温泉街です。

この温泉を発見したのは、日光の歴史には欠かせない勝道上人でした。

奈良時代に男体山への登頂を成功して、さらには世界遺産の一部である日光二荒山神社や輪王寺の原型を造った勝道上人は、日光を一大聖地とした立役者でした。

中禅寺湖や男体山のさらに奥に隠れている、美しい湯ノ湖。そのほとりで788年に勝道上人が温泉を発見しました。この温泉は薬師湯と呼ばれており、その後も次々と温泉が発見されました。

その後は貴族社会、武家社会、その集大成である江戸時代と続きましたが、奥地にあったことが幸いして、あまり時代の変化が直撃することはなかったようです。明治維新後までは、女人禁制、牛馬禁制だったこともあり、ほとんど開拓が進みませんでした。

そんな湯元温泉も大きく変わりはじめたのは、ヨーロッパから来た要人が次々と中禅寺湖を訪れたことがきっかけでした。

イザベラ・バード、アーネスト・サトウといった影響力の大きい外国人が、今でいうインフルエンサーのように日光を紹介したおかげで、中禅寺湖周辺は避暑地として大いに盛り上がりました。

その中禅寺湖の少し先にある湯ノ湖、湯元温泉にも何度も足を運んでいたようで、この美しい景色や取り残されたような大自然に魅了されていたようです。

 

また昭和3年(1928年)には、大火によって木造旅館の大部分が焼失してしまいました。一時は活気が消えてしまったと思われますが、その後の復興で近代的な旅館が建ち並ぶようになり、結果的に知る人ぞ知る湯元温泉は、広く知られて賑わうようになります。

 

素朴が似合う温泉街

冬は雪が何mも積もることがあり、厳しい寒さのため、昭和初期までは夏だけ営業しているひっそりとした湯治場でした。

昭和時代になり、大手ホテルチェーンの進出はありましたが、その他の温泉街に見られるような飲食街、歓楽街は形成されず、良い意味でストイックな温泉街のまま現在に続いています。

良質な温泉に入ったり、中禅寺湖や湯ノ湖で釣りを楽しんだり、周辺にはハイキングできる絶景ポイントもたくさん揃っています。

標高1400m以上の湯元温泉は、真夏でも20℃以上になることが珍しく、真冬はスノーシューやスキーを楽しむことができます。どの季節であっても楽しみがある湯元温泉は、あまりに高く、遠いことに価値があると言えるでしょう。

 

温泉神社と温泉寺

湯元温泉には、先に紹介した勝道上人が建立に関わった神社と寺が建っています。

温泉神社は湯元温泉の入口すぐにあるため、比較的立ち寄りやすい立地です。急な階段を上ると、温泉全体が見渡せるような景色が広がり、ここに温泉の神様である大己貴命(おおなむちのみこと)が祀られています。

この神社の創建は786年と伝わっていますので、湯元温泉の発見よりも前の出来事です。白い煙が立ち上る高台に、勝道上人によって温泉神社が建てられました。

 

湯元温泉の奥に進むと、温泉寺があります。こちらは湯元温泉の発見と密接な関係があり、源泉の近くに、病の苦しみから救う薬師瑠璃光如来を祀ったことが起源でした。

創建当時は薬師堂と呼ばれ、現在とは別の場所にありました。昭和41年(1966年)の土砂崩れにより、薬師堂は潰れてしまい、7年後に源泉に近いこの場所に温泉寺として再建されています。

現在は、日光二社一寺の一角である輪王寺の別院となり、全国的にも珍しく、温泉に入ったり、写経体験などができることも特徴です。

すぐ隣には、硫黄の香りが広がる湯元温泉の源泉があります。

湯元温泉は乳白色に見えるのですが、源泉から流れる水流は透明です。これが酸素に触れ、酸化することによって白く濁るようです。

傷、皮膚病、婦人病、糖尿病などに効く硫黄泉です。

1200年前に勝道上人が発見した頃は、どのような景色が広がっていたのか、そんな想像を巡らせながら散策してみてはいかがでしょうか。

 

玉音放送が届いた日

1200年前に想いを馳せたところで、もうひとつ戦後80年にちなんで紹介したい歴史があります。

太平洋戦争末期、湯元温泉は上皇天皇が疎開した先でもありました。

日光は徳川家にとって聖地だっただけでなく、その後に明治天皇や大正天皇も訪れていました。そして上皇天皇にとっては、戦争時の疎開先となり、戦況の悪化に伴って奥日光の湯元温泉まで移ってきたわけです。

そしてちょうど80年前の8月15日、当時は南間ホテル(→おおるり山荘→亀の井ホテル奥日光湯元)があったこの地で、上皇天皇は終戦を告げる玉音放送を聞くことになります。

当時の想いを想像することは到底できませんが、湯元温泉に足を運ぶたびに、時代の大きな区切りとなったその瞬間について考えてしまいます。

 

 

まとめ

奈良時代から続く歴史、年間通して遊べるリゾート環境、戦後という時代がはじまった瞬間、湯元温泉には他にはない魅力や重みが詰まっています。

気軽に行ける距離ではないのですが、ぜひ機会があれば足を運んでいただけるとうれしいです。