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【あさやグループ】好景気に沸いた鬼怒川温泉の発展と廃墟になるまでの歴史

今回の記事では、330年以上の年月を振り返り、鬼怒川温泉の歴史についてダイジェストで紹介します。温泉旅館として「東の横綱」と呼ばれる、あさやホテル系列の角度からまとめてみることで

「鬼怒川温泉ってどうやって発展してきたの?」

「どうして廃墟だらけになってしまったの?」

「これからどうなっていくの?」

を知ってもらえると思います。

鬼怒川温泉大好き!日光に興味がある!という方の参考にしてもらえるとうれしいです。

 

温泉の発

鬼怒川温泉の歴史は、1691年の温泉の発見までさかのぼります。

現在の「あさやホテル」の付近で発見されています。鬼怒川の西岸にあたり、滝温泉と呼ばれていました。

当時は江戸時代、日光詣での僧侶や大名だけが利用できる、いわば選ばれた人だけが温泉に入れたわけですが、明治以降になって一般の人々にも開放されました。

 

その後、東側の岸にも温泉が発見されて藤原温泉と呼ばれていましたが、1927年になり、滝温泉、藤原温泉を合わせて鬼怒川温泉という名称に統一されました。「鬼怒川」という呼び方は、鬼が怒ったように荒々しい流れ、という由来のようですね。

 

麻屋旅館の創業

あさやホテルの歴史は古く、鬼怒川温泉という名称に統一される前に「麻屋旅館」として創業しています。

 

1888年 麻屋旅館 創業

1927年 鬼怒川温泉と名称統一

1939年 鬼怒川公園駅 開業

1946年 あさや旅館となる

 

まだまだリゾート開発される前から、あさやホテルの前身が走り出していたと思うと、歴史を感じますね。ここから日本は、人口がどんどん増えていき、輸出産業が絶好調、高度成長期に入ります。

 

高度成長期~バブル経済

1950年代中盤から、日本は世界でも奇跡的と評される高度成長期を迎えます。人口はどんどん増えるから、需要や消費も勝手に右肩上がり、若い人が増えていくので会社もピラミッド型で成長しやすく、欧米というわかりやすい目標があった時代です。

 

1955年 高度成長期がはじまる

1956年 あさや旅館の支店 営業開始

1972年 あさや旅館があさやホテルとなる

1973年 鬼怒川グリーンパレス 営業開始

 

この頃に高度成長期はひと区切りになりますが、あさやホテルは支店と鬼怒川グリーンパレスも加えた体制で、どんどん拡大していきました。

 

1980年 あさや支店が鬼怒川第一ホテルとなり、別会社が経営

1990年 あさやホテル 秀峰館が完成

 

あさやホテルといえば、秀峰館をイメージする方がほとんどではないでしょうか。

エントランスを入った瞬間に、上にも下にも広がる吹き抜け、気が遠くなってしまいそうなゴールドの輝き、パイプオルガン、エレベーター、季節に合わせたデコレーション、あさやホテルの代名詞のような秀峰館(下写真)が完成したのは1990年、世間はバブル経済の末期でした。このタイミングで、巨額の投資をしています。

東京から押し寄せる社員旅行、団体旅行の受け皿として、とにかく大きく立派に、全員が収まる大宴会場を完備、ホテルの中ですべてのサービスが完結する設計をすることで、超大型の観光ホテルが競うように乱立しました。

ざっくり説明すると、バブル経済の鬼怒川温泉はこんな感じですが、東京直通の社員旅行を受け入れる、というビジネスモデルが後々の大きな課題に繋がりました。

 

バブル経済崩壊~足利銀行国有化

1990年 バブル経済崩壊

2003年 足利銀行国有化

2004年 あさやホテル 産業再生機構の支援を受ける

2005年 鬼怒川温泉で旅館やホテルの倒産が相次ぐ

2008年 別会社が経営していた鬼怒川第一ホテルが閉鎖

2008年 鬼怒川グリーンパレスを伊東園ホテルに譲渡

 

1990年から2010年くらいにかけて、日本の様子は大きく動きます。失われた20年と呼ばれていましたが、不動産の価値がどんどん上がる~企業は積極的に投資する~銀行はどんどん融資する、というバブル経済は終わりを迎えました。

企業の業績は一気に悪化して、銀行からの借り入れもできない状態、銀行自体も債権回収ができずに経営悪化していきながら、経済大国日本は跡形もなくなりました。

 

社員旅行を行う余裕や文化も激減して、旅行に対する価値観も変化しました。個人で自由に楽しむスタイルが普及したことも追い打ちをかけました。

 

そして廃墟に

すぐ隣に建っていた、きぬ川館本店(上写真)とバチバチのライバル関係にあり、どんどん増築拡大していた鬼怒川第一ホテル(下写真)が閉鎖します。

銀行から借りてまで拡大していたのに、社員旅行のような団体客が激減したら、借金返済が不可能になるのは自然な流れですが、異常な好景気というのはそんな不安も吹き飛ばす怖さがあるんですね。

駅から徒歩圏内、複雑な構造で巨大化、個人旅行にはまったく対応していない設計、そして崖に沿うように増築しており、解体には大変な労力と費用がかかることによって、現在は廃墟として注目されることになってしまいました。

 

鬼怒川グリーンパレス(下写真)については、不採算のホテル事業を買収して低価格帯のサービスを提供することで成長していた、伊東園ホテルに譲渡することになりました。

鬼怒川グリーンパレスについては、2015年に設備工事を機に営業を停止しており、現在に至っています。すでに柵に囲まれており、敷地内にも入れない状態です。

 

あさやホテルの現在

産業再生機構の支援を受けたあさやホテルは、サービスモデルを時代に合わせて変化させていきました。

一部を解体して、社員寮として活用したり、その跡地を貸切風呂「打ち出の小槌の湯」とリニューアルしています。現在では

・多機能で豪華な秀峰館

・和風旅館のテイストを演出した八番館

・他では体験できない空中庭園露天風呂

・メディアで何度も取り上げられている多彩なブッフェ

その他にも数多くの魅力を持ったリゾートホテルとして、非常に高い人気を得ています。まるで生まれ変わったように変化してきましたが

・女性視点での価値を発信できている

・日光を活かした非日常体験を提供している

・個人旅行客への対応、おもてなしレベルが高い

大きくまとめると、こういった点が生き残りのポイントだったのかな、と考えます。

 

まとめ

いかがでしたのでしょうか。

決して廃墟になった経緯を批判したり、鬼怒川温泉の評価を下げる記事ではありません。たくさんの経営努力や工夫をしている姿を見て聞いており、現在の鬼怒川温泉を支えてくれています。

 

 

現在から振り返れば、鬼怒川温泉の盛衰は「もっとどうにかできたんじゃない?」と思うところもありますが、この歴史から学ぶことが大切ですね。

「変化する準備と行動はいつも必要」

一言にまとめるとこんな感じでしょうか。

ここに関しては、熱海温泉に見習うポイントが多いと考えます。

失われた20年どころか、失われた30年と言われており、将来にわたって、日本がどのような価値を提供していけるのか、全員で考えなければならないと思います。

その視点で参考にしていただけると幸いです。