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いろは坂【明智平ロープウェイ】時が止まった絶景行き止まり

日光ならではの絶景を楽しめる、明智平ロープウェイをご存じでしょうか。

日本全体が近代化の波に乗ることに成功して、欧米諸国の背中を追いかけていた頃に、観光地日光のシンボルとなるようなロープウェイが開業しました。

今となっては信じられないような勢いで開発された日光エリア、そこにロープウェイが誕生した背景を振り返って、現在の絶景も紹介したいと思います。

 

憧れの中禅寺湖

日光が観光地として注目されたのは、明治維新後の外国人がきっかけでした。

地元の人にとっては当たり前すぎる光景ですが、険しい山に囲まれた湖、そこから流れる川と迫力ある滝、未開拓のまま残された静かな環境、これらが揃っているのが日光の中禅寺湖でした。

馬車や人力車による過酷な旅ではありましたが、東京や横浜からちょっと頑張れば行ける距離感であることも大きな魅力でした。

当時の感動を想像するのは難しいですが、これほど険しい山を登った先に広がる湖、来日した外国人にとっては、別世界のような光景に感じられたのではないでしょうか。

やがて「日光にすごい場所がある」という評価が広がりました。その勢いは相当だったようで、明治23年(1890年)には日光駅が開業して、途中までは鉄道でのアクセスが可能となりました。

 

日光東照宮が日帰り可能なほど身近になる一方で、そこからわずか20km先の中禅寺湖はまだまだ遠い存在でした。東京から日光駅までは5時間、日光駅から中禅寺湖はそれ以上に時間がかかり、人力車で7時間、駕籠で9時間かかっていた時代です。

 

乗り物リレーのアンカー登場

簡単には行けなかった憧れの避暑地、中禅寺湖は標高が高い場所にあることが難点でしたが、それによって新しい交通手段がどんどん誕生しました。

大正2年(1913年)に、中禅寺湖に向かう急斜面の手前、馬返駅まで路面電車「日光電車」が開通します。馬返という地名は、馬も登れないほどの急斜面だったことを表していますが、当時は登山口として賑わっていました。

そこから9年が経ち、昭和7年(1932年)に日光鋼索鉄道線、通称「日光登山鉄道」が開通します。このケーブルカーによって、中禅寺湖の手前まで登ることができるようになりました。

終点の明智平駅から先は、バスを使って中禅寺湖まで向かったようです。

この翌年に、完全に観光目的で誕生したのが、明智平駅を出発する「明智平ロープウェイ」です。

こうして、日光駅までは鉄道、馬返駅までは路面電車、明智平駅まではケーブルカー、最後はロープウェイという乗り物リレーが完成して、終着駅に展望台が整備されました。

ここから眺める景色は、おそらく昭和初期の勢いがあった頃のまま、ほとんど変わっていないと思います。

男体山をはじめとした日光連山が連なり、その隙間に隠れるように広がる湖、豪快に流れ落ちる華厳の滝を一望できます。

昭和初期の頃は、この複雑な地形を立体的に表現したり、空中から写真撮影することが難しかったはずです。今でも感動する光景ですが、当時の人々にとっては「人生で一度は見るべき絶景」のような価値があったのではないでしょうか。

 

不要不急線からの復活

明智平ロープウェイは、観光目的の移動手段でしたから、その後の太平洋戦争によって、当然のように不要不急線となり営業は休止状態になります。

多くの不要不急線が、戦後そのまま廃止になってしまいましたが、明智平ロープウェイは昭和25年(1950年)に復活しました。ロープウェイの復活は国内唯一だったので、どれほどの人気があったのか察することができます。

 

昭和40年代に入って、日光の観光動線の一部だった日光電車、日光登山鉄道が相次いで廃線となりましたが、明智平ロープウェイだけは2025年現在も運航を続けています。

日光電車、日光登山鉄道はマイカー時代の到来によって、追い出されてしまった感が強いですが、明智平ロープウェイについては最初から観光目的に全振りしていたため、モータリゼーションの影響を受けなかったことが大きいと考えます。

 

90年変わらない光景

現在も明智平ロープウェイのゴンドラから見る景色、そして展望台を囲む絶景は一見の価値があります。

しかしながら、基本的にはここから先にはどこにも行けず、行き止まりのような観光スポットになっているのは非常にもったいない印象です。

勝手な感想ではありますが、90年以上にわたって、明智平ロープウェイは活躍しすぎてしまったことで、アップデートするタイミングを逸してしまったのではないでしょうか。ある意味、昭和初期とまったく同じ楽しみ方をしており、これはこれで奇跡的な光景です。

これだけ写真や動画で情報を共有できる時代になりましたから、たどり着いてもほとんど答え合わせのような観光体験になってしまいます。

 

人それぞれの旅行の価値観がありますし、良くも悪くも国立公園である前提条件が難しいところですが、10年後も誰かに話したくなるようなアクティビティがあっても面白いと思います。

ロープウェイと同じ軌道で、スリル満点の吊り橋が渡っていてもいいでしょうし、ジップラインで中禅寺湖の方面に下っても面白いです。

いろは坂を上空から眺めるロープウェイを新設するアイデアもあるようですが、ロープウェイばかり増やしても、また来年も来ようとは思わないでしょうし、渋滞の悪化、そして財政の首を絞めるだけの気がしています。

そこまでいろいろ投資をしなくても、極端にシンプルな案としては、いろは坂を登る遊歩道を整備して、馬返から中禅寺湖までの登山ルートを復活してもらえれば充分ではないでしょうか。それだけで苦労した思い出話になるし、渋滞解決にも一役買いそうです。

その登山ルートの途中途中で、絶景ブランコやすべり台、フォトスポット、観光歴史館のような、ほぼ無人で管理できる観光スポットがあれば、日光の自然と歴史を堪能できると思います。

 

かつては、徒歩、人力車、駕籠を使ってまで行きたかった中禅寺湖、その移動手段はすでに進化してしまいました。これからは、どれだけゆっくり過ごしてもらって、インパクトに残る観光スポットにするのか、日光の観光は次のステージを目指すタイミングではないでしょうか。

 

 

ぜひ機会がありましたら、昭和初期に誕生した絶景コース、明智平ロープウェイを味わいながら、これまでの歴史についても振り返ってもらえると幸いです。

ちなみに紅葉の最盛期は、夜明けの頃には大渋滞になってしまいますので、相当な事前準備をおすすめします。