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栃木県民も混乱?【日光二荒山神社】VS【宇都宮二荒山神社】

初詣でもおなじみ、栃木県を代表する神社である「二荒山神社」この神社名をどのように読むか知っていますか?

場所によって、読み方がふたつあります。

日光にあるのは、日光二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)

宇都宮にあるのは、宇都宮二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)

「そんなのどうでもいいじゃん」って言われそうですが、微妙にエリアが離れているだけでなく、祀っている神も違う、歴史も違う、漢字が同じだけど読み方が違う、そして何より栃木県においてどちらも一宮、つまりもっとも社格が高い神社であり、その一宮のポジションを人間味たっぷりに争ってきた歴史があります。

 

そういうわけで、栃木県民ですら混乱は必至の二荒山神社、1000年以上にわたる歴史のポイントを、私なりにまとめてみました。

・この「二つの荒い山」とは何のことなのか?

・同じ漢字で読みが違う神社が、日光と宇都宮にあるのか?

個人的に考察しています。

ぜひ最後までお付き合いください。

 

日光二荒山神社

ふたつの神社の関係性を考える前に、それぞれの神社の歴史をおさらいしてみます。

まずは日光二荒山神社、こちらは正式名称は二荒山神社ですが、先ほど紹介したように宇都宮二荒山神社ときっちり区別できるように、日光二荒山神社と表記されることが一般的になりました。

 

成り立ちは、奈良時代の767年までさかのぼります。

当時の仏教において若手実力者であった勝道上人が、厳しい修行を行う地として日光を訪れ、本宮神社を建立します。この本宮神社が、現在の日光二荒山神社に繋がります。

日光エリアにあるほとんどの神社や寺に、勝道上人が関わっています。江戸時代に建てられた日光東照宮を除くと、現在の日光の輪郭を描いたのは勝道上人と考えられます。

そんな本宮神社は、850年に現在の日光東照宮が建っている場所に新宮として移ります。

この後の日光は、神仏習合という、ざっくり表現すると神と仏を一緒に祀る流れに乗り、聖地としてどんどん栄えていきます。修行やお参りをする身にとって

「いつかは訪れたい」

そんな憧れの地となった日光は、江戸時代に徳川家康が神として祀られたことで最盛期を迎えます。

徳川家康が日光東照宮に祀られることになり、家康が亡くなった翌年、1617年に日光東照宮が造営されます。それにあたり、さらに場所がずれて現在の日光二荒山神社が建っている場所に移されました。

現在、私達が観光できる日光二荒山神社は、1619年に徳川2代将軍の秀忠によって建立したものがベースになっています。

このように、日光二荒山神社は宇都宮との接点がないまま、歴史を重ねて現在に至っており、男体山、華厳の滝、いろは坂まで含む、広大な神社として日光のシンボルとなっています。

 

日光二荒山神社の「二荒山」とは?

このような成り立ちの日光二荒山神社ですが、そもそも二荒山とは何のことを指しているのでしょうか?

これは、日光山岳信仰のシンボルである男体山が、かつては二荒山と呼ばれていたためです。おそらくこの流れは間違いないでしょう。

 

では、二荒山の「二荒」とは何のことなのか?

これにはいくつかの説があり、これがはっきりしていれば宇都宮二荒山神社との関係があるのかないのか?についてもわかりそうですが、決定打はないようです。

「二荒」の語源としては

①男体山と女峰山の2つの山を指す「二現」

②男体山に多いクマザサを指すアイヌ語「フトラ」

③仏教の教えに出てくる補陀落山「ふだらくさん」

④男体山ふもとで「年に2回大風が吹き荒れる」

その他にもあるのですが、個人的には④がもっとも腹落ちしますね。

①と②は、いかにも後から考えたような理由ですし、しかも「二荒」の漢字を当てる繋がりが見えません。

③については、男体山が二荒山と呼ばれていたさらに前に、補陀落山と呼ばれていたことを考えると、可能性はありそうですが「二荒」の字を当てるのは、成り行き感ゼロな気がします。

勝道上人が初めて登頂して修行した男体山は、古代から神々が宿っているとされていました。その男体山の厳しさを表す表現として「二荒」の漢字を当てて「補陀落山っていう響きにも似ているし、これからは二荒山でいいんじゃない…」っていう会話があったんじゃないかなって、素人目線なりに感じています。

 

また「日光」という現在の地名は、二荒山の「二荒」を「ニコウ」と読み替えた説が有力ですが、ここも個人的には「そうなのかなぁ…」と全然納得できません。太陽に近い二荒山があって、そこがいつの間にか「日の光」という地名になる方が、よほど自然な気がしてなりません。

専門的な知見がない状態で考察していますので、あくまで地元民の1つの意見として聞いていただけると幸いです。

 

宇都宮二荒山神社

こちらの宇都宮二荒山神社は、成り立ちがさらに古いこともあって、もっと謎だらけです。

そもそも地元の人も、愛称で「ふたあらさん」とか呼ぶので、日光とか宇都宮が付いていないと、どっちを指しているのか栃木県民でも判別不能です。

宇都宮二荒山神社の起源は、古墳時代の353年とも言われ、日光二荒山神社よりもさらに前から神を祀っていたことになります。その祀っている神は、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)であり、武力によって東国(あづまのくに)を治めていました。

その後、平安時代から戦国時代にかけて、22代500年近く、奥州藤原氏をルーツに持つ宇都宮氏一族が、この地を治めていました。

平安時代末期の3代目である宇都宮朝綱から、姓を藤原から宇都宮に変えており、すでに宇都宮という地名が定着していたことがわかります。

 

なぜ「宇都宮」なのか?

この宇都宮という地名についても、諸説あってはっきりしないようです。様々な資料に目を通すと「その地域でもっとも社格が高い神社である、一宮が変化して宇都宮になった」という説を紹介するケースが多いと感じます。

これも「だったら一宮でいいじゃん」と思いますし、実際にそのような地名は存在しています。宇都宮という漢字を当てはめた理由もわかりません。

宇都宮はかつて「宇豆宮」や「宇津宮」のように表記されていたこともあるようで、私が調べた範囲では「一宮」とは記載された歴史がありません。おそらくですが、宇都宮という漢字表記よりも「うつの宮」という読みの方が重要だったと感じます。

・一宮

・内宮

・鬱宮

・移しの宮

これまたたくさんの説があって、決定打がないようですが、個人的に納得度が高いのは「討つの宮」です。

武力のシンボルであった宇都宮二荒山神社は、源頼朝や徳川家康も戦勝祈願した神社でした。平家物語にも宇都宮は登場しており、祈りを捧げる対象になっています。

つまり、武力でもって東国を治める神にちなんで「討つの宮」であれば、鎌倉~室町~戦国時代と続く動乱の時代にあって、宇都宮二荒山神社の存在感はとても大きかったと察することができます。

 

宇都宮二荒山神社の「二荒山」とは?

宇都宮の地名が決まったとして、この神社に「二荒山」が付いているのは、あまりに不思議です。なぜ宇都宮神社ではダメだったのか?ここに対する答えは今のところ見当たりません。

この宇都宮二荒山神社の建立がかなり古く、かつては関東一帯に影響力があったことは間違いなさそうです。だからこそ、栃木県でもっとも社格が高い神社として認められていました。そしてどこかのタイミングで、いつの間にか「二荒山」のブランド名が付いているイメージです。

距離が離れており、祀っている神も異なる神社が、偶然にも同じ「二荒山」のブランド名を付けるわけないので、どちらかがもう一方の影響を受けたと考えるのが自然そうです。

この点が「どっちの神社が社格が高いのか?どっちが別宮なのか?」という問題の根本になっていると感じます。

 

ふたつの神社を結ぶもの

考察する切り口としては、以下の3点です。

・実はこのふたつの神社以外にも、いくつもの二荒山神社が存在している

・明治時代になって、神社と寺をはっきり分離するまでは、ほとんど二荒山という言葉が記録されていない

・平安時代末期、日光が世に広まってきたタイミングと、宇都宮という地名が誕生したタイミングは近いのではないか?

 

そこで、私なりに考えたストーリーは次の2通りです。

①当時はなぜか「二荒山」という言葉を使うブームが起きており、その流れに乗って、日光では補陀落山を二荒山と呼ぶ決定打となった。一方その頃、宇都宮では二荒山神社が誕生した。

②日光二荒山神社の評判が先に広まって、その影響を受けて宇都宮二荒山神社がリニューアルした。

①については、栃木県内だけでも数十の二荒山神社があることを含めて考えたストーリーですが、これについても②に集約できるのではないか、と考えています。

つまり日光二荒山神社の影響力がとても強く、その「二荒山」のブランド名が広まっていく過程で、歴史のある宇都宮の神社が大々的に取り入れたのではないか、というのが私の考察です。

これであれば、宇都宮がいきなり「二荒山」という言葉を採用した理由が納得できます。おそらくですが、交通の要所として栄えていた宇都宮に行けば、わざわざ日光まで行かなくても日光詣と同じようにお参りすることができる、そういうポジショニングだったのではないでしょうか。

しかも宇都宮で祀っている神は、関東一帯を守っています。

どちらがメイン、どちらがサブという立ち位置ではなく、神々に近い日光二荒山神社、武士の戦や人々の生活を守る宇都宮二荒山神社、このような役割分担だったのではないかと推測しています。

 

まとめ

タイトルでは、日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社が争っているような書き方をしましたが、実は地元民から見るとそんな雰囲気はなく、それぞれに存在感があって、別々の役割を果たしている感覚です。

これは、日光二荒山神社は大自然に囲まれた観光地にあり、宇都宮二荒山神社はアクセスの良い市街地の中心に位置しているので、地元民はふたつの神社を完全に使い分けているイメージです。

 

 

どちらも下野国の一宮として重要な神社だったり、そして謎が多い成り立ちから、いつの間にか同じ「二荒山」の表記を使って現在に至っている歴史を持つ、日光二荒山神社と宇都宮二荒山神社を紹介しました。

遊びに行く機会があれば、ぜひ1000年以上の歩みや謎にも思いを巡らせてみると、また違った楽しみ方ができると思います。

 

参考にしていただければ幸いです。