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3時間で日光世界遺産(東照宮・二荒山神社・輪王寺)を満喫!日帰りコースを紹介

栃木県日光市にあります世界遺産「日光の社寺」を、3時間で観光する基本的なコースを紹介します。

日帰りで遊びに行きたい方や、見て歩くのにどのくらい時間がかかるのだろう?と考えている方の参考にしてみてください。

当日は雨模様で、修学旅行の小学生たちがたくさん来ていました。おそらくゆっくり見て回っても3~4時間で満喫できると思います。

 

世界遺産エリアまでは、マイカーや電車で来るケースが多いと思いますが、今回は個人的にオススメしたい、上鉢石駐車場を利用するパターンで紹介します。

上鉢石駐車場は無料にも関わらず、歩いてすぐの場所に神橋があり、世界遺産エリアまで5分程度で行くことができます。

 

神橋

神橋(しんきょう)は勝道上人(しょうどうしょうにん)の伝説から生まれた橋であり、激流で川を渡れなかった勝道上人が祈ったことで向こう岸に渡ることができて、数々の神社を建設しました。

渋滞ポイントとしても有名ですが、現在は残念ながら川を渡るだけで車道を渡ることはできません。見るための橋と考えた方が楽しめると思います。

勝道上人がもう一度祈りを捧げて、車道を渡れるくらいの大きな橋にリニューアルすることを期待しています。

 

日光の社寺の入口

神橋を渡ってすぐに、日光の社寺に続く階段があります。

石畳と緑に囲まれた抜群の雰囲気が、いかにも聖地っぽい入口です。予備知識なしに来る方にとっては、階段を結構進むのがキツイかもしれません。この先には、先ほど紹介した勝道上人が待っています。

もともと山岳信仰が広がっていた地域で、勝道上人が数々の神社を建てたことで、日光は参拝する人や修行僧にとって、一度は訪れたい聖地となりました。また、日光の象徴である男体山に初めて登頂したことで、勝道上人から日光の歴史がスタートしたともいえます。

 

輪王寺

このルートで進むと、最初に到着するのが輪王寺(りんのうじ)です。

輪王寺を一言で表すと、古くから神や仏を一緒に祭っていた日光の社寺の仏教パートに該当します。定かでない歴史もあるのですが、日光の長い歴史において重要な役割を果たしてます。

日光の社寺の1つとして知られる輪王寺は、もっとも有名な日光東照宮よりもはるかに長い歴史を持っています。これは東照宮は、徳川家康を神として祭っていることに対して、輪王寺は古代から続く山岳信仰から生まれているからです。

寺なので仏像を祭っている場所です。中の撮影は禁止されていますが、三仏堂に入ると巨大な仏堂が建っており、その迫力は必見です。

 

平安時代以降は、神仏習合(しんぶつしゅうごう)と呼ばれる神を祭る神教と仏を祭る仏教が合体していたことで、日光も神社と寺が入り混じった配置になっています。

神と仏を同じようなものとして信仰していた中世の日本でしたが、明治以降は神仏分離(しんぶつぶんり)が行われます。仏教が大陸から渡ってきた教えであることに対して、神教は日本古来の考え方なので、新たな国造りのために神教を活用したわけです。

この流れで、一体のように栄えていた日光の社寺は、神社と寺に分かれることになり、そのひとつが輪王寺となりました。

輪王寺を抜けて奥に進むと、東照宮です。土日など賑わう日は、この通りに屋台が並びますので、鳥居に向かう道では休憩する方も多いです。インバウンド向けの高価格帯のレストランを作っちゃってもいいんじゃない?って個人的には思います。

 

日光東照宮

日光の世界遺産といえば、日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)をイメージする方も多いと思います。東照宮を一言で表すと、平和を実現した徳川家康が神として祭られている神社です。

「見ざる聞かざる言わざる」の三猿や眠り猫が有名ですが、神社全体が豪華絢爛で平和を願う装飾が施されていることが特徴です。

見どころはたくさんあるのですが、クライマックスは東照宮の奥で徳川家康が眠っている奥社宝塔(おくしゃほうとう)です。207段の階段を登るので、少し時間がかかりますが、3時間あるのならぜひ目の前で家康を感じてもらいたいですね。

徳川家康の遺体が久能山から日光に移り、家康の遺言通りに、神となりこの地から日本の平和を願ってくれています。日光が江戸時代にどれほど影響力を持っていたのかは、家康が眠っていることと、五街道のひとつが日光道だったことから察することができます。

東照宮を出て、右に進むと

・大猷院廟

・日光二荒山神社

が並ぶエリアに続きます。3時間コースの後半はどちらから見ても良いのですが、個人的には東照宮の流れで大猷院廟を先に見るのがオススメです。

 

大猷院廟

江戸幕府の盤石な体制を完成させた、3代将軍徳川家光がここに眠っています。

読むのが難しすぎる大猷院廟(たいゆういんびょう)を一言で表すと、輪王寺に属している家光の墓です。

最初は質素だった東照宮を、豪華絢爛な現在のイメージにアップデートしたのが家光でした。その家光は同じ日光の社寺に眠るわけですが、東照宮は神社、大猷院廟は寺という建築様式となっており、この見比べが面白いと思います。

墓は一般公開されていませんが、静かな雰囲気と手が届かないような奥深さが感じられます。入場料を支払って一周するだけなので、建物の中に入ることはありません。時間的にはすぐに終わってしまいますが、ぜひ足を運んでほしい場所です。

 

日光二荒山神社

日光の社寺のうち、もっとも奥に位置する日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)です。

日光二荒山神社を一言で表すと、広さと歴史において観光地日光のシンボルとなる神社です。

男体山の山頂にある奥宮(おくみや)、男体山の入口にある中宮祠(ちゅうぐうし)、いろは坂や華厳ノ滝まで日光二荒山神社の境内となっており、伊勢神宮に次ぐ面積の広さを誇っています。

1872年の神仏別離によって、日光二荒山神社と分かれましたが、輪王寺と同様に山岳信仰の時代までさかのぼり、勝道上人が建てた神社が移転して、現在の場所となっています。およそ30~40分程度の所要時間で一周します。

隣の宇都宮市街地にも宇都宮二荒山神社がありますが、この関係性は長年の謎のようです。

 

日光の社寺の起源

ざっくりと表現すると、日光の社寺の仏教パートの輪王寺、神教パートの日光二荒山神社ですが、その起源となる寺や神社を最後に見て回りましょう。

神橋のあたりまで戻って、別な階段を進むとひっそりと建っています。

766年に、勝道上人が建てたと言われる紫雲立寺(しうんりゅうじ)が、やがて四本龍寺(しほんりゅうじ)となり、それが現在の輪王寺となっています。

また同じ頃に、同じく勝道上人が建てたと言われる本宮神社(ほんぐうじんじゃ)は、現在の日光二荒山神社となっています。1617年に東照宮の造営に合わせて現在の位置になりました。

ぜひ最後は、日光の社寺の起源である、四本龍寺と本宮神社もチェックしてみてください。

 

 

ここまで歩いて、だいたい3時間くらいのコースです。混雑時にはプラス1時間くらいはかかると思いますが、東京からの日帰り旅行でも充分に観光できますし、宿泊旅行の前後で立ち寄ってみるのもオススメです。

参考にしていただけると幸いです。