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【日光鉱山】旧芦場駅から鉱山跡を散策してみる(東武矢板線)

かつて日光(旧藤原町)から矢板まで結んだSL路線、矢板線をご存じでしょうか。

開通直後は、日光の高徳駅から天頂駅までの路線だった矢板線が、矢板駅まで延伸するにあたって、芦場(よしば)駅が追加されました。

芦場駅の役割は、とにかく日光鉱山から採取された鉱石を運ぶこと。これに尽きました。現在ではほとんど面影がありませんが、当時の芦場駅周辺にはちょっとした街が形成されていたようです。

そんな日光鉱山と芦場駅を紹介したいと思います。廃線から65年経って、現在はどのようになっているのでしょうか。

 

日光鉱山

旧芦場駅の南側で、明治39年に発見され、昭和9年には年間1000トンを超える銅を産出しました。金や銀も少量ながら採れていたようです。芦場駅までトロッコを手押しして、矢板線の貨車に積み込んでいました。

昭和25年(1950年)には、産出量が激減して採掘作業は中止となりました。

それでもすぐ近くの天頂鉱山は、昭和50年(1975年)まで続いていましたので、この一帯はひとつの街として賑わっていました。

現在の日光鉱山を進んでみましょう。

 

 

初夏に行ったので、かなり草木が覆い茂っていますが、秋以降であればもっと見晴らしがよく、鉱山の形跡も見られると思います。

 

芦場駅

芦場駅は、昭和4年(1929年)に開業した矢板線の駅です。

現在はコンクリートブロックの土台が残っているだけですが、矢板線でここまではっきりと跡地が残っているのはかなり珍しいです。

ここから日光鉱山で産出された鉱石を運んでいたわけですが、駅前は今からは想像つかないくらい人が集まっていたようです。おそらくですが、数百人単位の集落となり地域として成り立っていたのではないでしょうか。

芦場駅の左側には社宅が並び、駅正面からは手押しのトロッコが往復していました。駅右側のグラウンドでは野球大会や盆踊りが開催、その他にもスーパー、映画館、床屋など生活必需品から娯楽まで、ひと通り揃っていたようなので驚きです。

 

矢板線

芦場駅は、矢板線にある9つの駅のひとつでしたが、現在でいうと東武鬼怒川線の新高徳駅とJR矢板駅を結んでいました。

当初は鉱山の鉱石輸送や材木輸送が主な目的でしたが、徐々に通勤や通学の足として使われるようになりました。

しかし開業当初から経営は苦しく、沿線住民の数も少ない、さらに電化しなかったことで、SLしか走れない、観光目的の利用も見込めず、といった超えられない壁がいくつもあり、残念ながら昭和34年(1959年)に廃線となってしまいました。

この時代に、東武線とJRを繋ぐSLがあったら、また違ったアピールができたと思います。そう考えると、ちょっともったいないですね。

 

※参考資料:塩谷町芦場新田自治会「塩谷町を走ったSL」