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【東武矢板線】高徳駅から矢板駅までの廃線を追う(開通100周年記念)

この道はかつて、矢板線という鉄道路線でした。

もう跡形も残っていませんが、SLが毎日走っていた時代がありました。

東武矢板線には、全部で9つの駅があり、今でいう東武鬼怒川線と東北本線を繋ぐ役割でした。

今回の動画では、この路線をドライブしながら、駅だった場所の様子も紹介していきます。2024年は開業から100年、矢板線は、どのような歴史をたどってきたのでしょうか。

 

 

こちらの記事、または動画で、ぜひ昭和初期を感じてもらえると幸いです。

 

高徳駅

矢板線は現在の東武鬼怒川線、新高徳駅から枝分かれした路線でした。鬼怒川温泉の手前にある新高徳駅から出発して、当時の路線を追いかけてみます。

高徳駅(現在の新高徳駅)を出発します。

県道を横切って、ちょうど山と住宅街の間に挟まれたような場所を走っています。このあたりは、線路の跡がそのまま道路に切り替わったのかな?という感じがします。

途中で道路が寸断されていますので、上写真の先からは線路跡を歩いて進んでみます。

この先に沢があるのですが、かなりしっかりとした橋の痕跡が残っています。

 

この橋の向こう側からドライブを再開します。

このあたりから、日光市を出て塩谷町に入ります。

またしても川によって進めなくなりました。

おそらくこのあたりにも大きな橋が架けられていたのではないでしょうか。

 

川を渡った先から再開します。

そろそろ西船生駅の跡地に到着します。

 

船生駅

当時の様子が上写真、現在の様子が下写真です。

当時の面影は残っていないかもしれないですね。

西船生駅を出発して、船生駅に向かいます。

今回紹介している過去の資料は、塩谷町芦場新田自治会が作成した「塩谷町を走ったSL」を参考にさせていただきました。

 

船生駅

船生駅はコンクリートの基礎部分がしっかり残っていて、駅がどれくらいの大きさだったのか想像することができます。

 

船生駅を出て、次は鉱山で栄えた天頂駅に向かいます。

矢板線はちょうど今から100年前、大正13年(1924年)に高徳駅から次の天頂駅まで開通しました。

 

当時の交通状況は、水力発電所とダムを建設するために、すでに鬼怒川温泉付近まで馬車鉄道を活用していました。しかし、それらが完成したことで、この馬車鉄道は不要となってしまいます。

線路を撤去する動きもあったのですが、ここで地元の有志が動きます。せっかくの線路なので何とか活用の方法を考えて、これが現在の東武鬼怒川線の原型となりました。

そして矢板線です。鉱山開発が進んだことにより鉱石の運搬、林業の発展による材木の運搬を目的として、高徳駅(現在の新高徳駅)から天頂駅までが結ばれました。

その後、東武鉄道の援助を受けながら矢板駅まで延伸することになります。

昭和18年(1943年)には、東武鉄道に買収されて東武矢板線としての運行となり、昭和34年(1959年)の廃止まで運搬や市民の足として使われていたわけです。

 

天頂駅

天頂駅の付近に到着しました。

資料を見る限り、このあたりだったのではないかと思います。

天頂駅を出発して、同じく鉱山で栄えた芦場駅に向かいましょう。

途中に、宇都宮大学農学部の演習林(下写真)がありますので、迂回が必要です。

 

芦場駅

矢板線全体のおよそ中間にある芦場駅は、こちらもしっかり基礎部分が残っており、看板で表示してくれています。芦場新田の表記がありますが、当時は芦場駅という名称でした。

芦場駅の周辺は、ちょっとした街が形成されていました。

芦場駅を出発して、玉生駅に向かいます。

 

玉生駅

玉生駅までの路線は、現在使っている道路からほとんど外れているいるので、追いかけるのが難しいのですが、おそらくこのあたりが玉生駅があった場所だと思います。

会社や住宅が割と多いので、何度も整備を行われて、跡形もなくなってしまったのではないでしょうか。

玉生駅を出発して、柄堀駅に向かいます。

 

少し進むと、またすぐに川にさえぎられてしまいました。

 

その先から再開します。

そろそろ柄堀駅に到着です。

 

柄堀駅

柄堀駅もまったく形跡がないので、実際の場所とはずれているかもしれませんが、おそらくこのあたりだと思われます。見通しのいい道路の途中です。

現在の境界線いうと、この先は矢板市に入ります。

途中からは道路がでこぼこになり、横からの草木もすごいことになっています。車で走るなら、秋冬の方が走りやすいですね。

もうすぐ幸岡駅です。

 

幸岡駅

幸岡駅は、はっきりと駅があったことを示す目印が立っています。

9つの駅それぞれに同じような目印があると、矢板線の存在感も増すでしょうが、何十年も経過すると風化してしまうのはしょうがないかもしれません。

それでは、終着駅である矢板駅に向かいましょう。

 

矢板駅

矢板駅に到着しました。上写真は、最終日に地元の高校生に花束を贈呈されている様子です。

矢板駅のあった場所は、現在の駐車場になっていると思われます。

残念ながら、その痕跡は見られませんが、ここまでSLが走っていたことになります。

 

鉱山の衰退、沿線住民の少なさ、観光資源もないことで、矢板線は65年前に廃線となってしまいました。日光市~塩谷町~矢板市と、現時点でたどれる範囲で紹介してみました。

参考になれば幸いです。