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財政再建の達人【二宮金次郎】報徳思想の誕生から日光で生涯を終えるまで

小学校などの銅像でおなじみの二宮金次郎ですが、実はおなじみなのは現在の大人世代であって、どんどん消えつつあります。

理由はいくつかあるでしょうが、よく聞くものとしては

「歩きながら読書をするのは危ない」

「歩きスマホに繋がる」

という理由のようですが、これを二宮金次郎が聞いたらどう感じるでしょうか?

 

 

そんな二宮金次郎は日光で生涯を閉じましたが、どのような功績を残してきたのか振り返ってみたいと思います。

 

現在の神奈川県で生まれる

二宮金次郎は、江戸時代後期の天明7年(1787)に現在の神奈川県小田原市に生まれました。田畑を持っているような比較的裕福な家だったようですが、金次郎が4歳の時に付近を流れる酒匂川が氾濫して一帯が流されてしまいました。これによって借金を抱えることになり、家は一転して貧しい状態に陥ります。

父親が目の病気になったこともあり、金次郎は仕事に出るようになりましたが、金次郎が13歳の時に父親が、15歳の時に母親が亡くなります。

当時の金次郎は、昼間は農作業、朝は山に蒔を取りに行き、夜は履物を手作りするような生活でしたが、再び酒匂川が氾濫して一帯が流されてしまったことで、伯父の家を頼ることになります。

おそらく金次郎の銅像は、この頃の様子を表したものだと思われます。

 

徐々に才覚を表す

伯父の家を頼った金次郎は、昼間は農作業、夜は火を灯して読書という生活でした。この状況で身を立てるには勉強しかないと考えていたわけです。しかし、これを知った伯父は油の無駄使いと厳しく叱られてしまいます。

金次郎はしょうがないので、たったひと握りのアブラナの種を分けてもらい、それを育てて、油にしてもらうことで読書を続けていました。

その後に実家に戻った金次郎は、家を修理して荒れ果てた田畑を耕して、少しずつ父親が持っていた田畑を買い戻していきました。

アブラナのエピソードや荒れた田畑を生き返らせることで、金次郎は小さい努力の積み重ねが大きなことを成し遂げる積小為大(せきしょういだい)を学びます。

 

このように、元々は裕福だった実家が没落して、その実家を建て直した実績は周辺に広まり、地主や農業経営を手伝うようになります。

この噂を聞きつけた小田原藩の家老が、金次郎に注目します。当時の小田原藩の財政難も建て直しに成功します。

さらに、小田原藩主の分家が荒廃しているということで、下野国芳賀郡桜町に出向くことになります。地元の反対勢力も強く、再建は難航しましたが最終的にはこの分家も救済することに成功します。

 

報徳思想の広まり

関東各地、さらに福島県や静岡県の一部でどんどん財政難を解決していった金次郎は、どのような手法で改善を実現していったのでしょうか。

まずは戦略、つまり作戦の大きな考え方は報徳思想に基づきます。

この報徳思想とは

・誠実に仕事に取り組む「至誠」

・「至誠」によって社会に貢献する「勤労」

・「勤労」で得た収入以上の支出をしない「分度」

・「分度」した余剰分を譲ったり投資に回す「推譲」

という考え方です。

そして戦術は報徳仕法と呼ばれ、具体的に行った対策の一部としては

・用水路などのインフラ整備

・移住者へのサポート

・村民の投票によって村のMVPを決めて表彰

・不作に強いヒエを栽培させて食料の安定化

・農作業だけでなく、夜は縄作りなどの副業をさせて、副業収入は積み立てさせることによって、最終的には2倍にして払い戻す

といった、現代に生きる私達にもまったく通用するような戦術でした。報徳って聞くと、ちょっと固いイメージを持っていましたが、ビジネス的な戦術にして考えてみると興味が湧いてきます。

天保13年(1842)江戸幕府に仕えるようになり、二宮尊徳を名乗るようになります。

弘化元年(1844)幕府の領地であった日光山領に入ります。

ここでも建て直しを行っていましたが、日光市にある今市の地で亡くなりました。69歳でした。

小手先の方法論だけでなく、1つ1つの取り組みの裏には、報徳思想という「こちらの行いが、やがて返ってくる」の考え方を広く伝えたことが、大きな功績と言えるでしょう。

 

最初に紹介した、二宮金次郎の銅像ですが「歩きながら読書をしたら危ない」というのは、ちょっと「小学生レベルのツッコミじゃないかな?」と個人的には感じてしまいます。

確かに、わざわざ薪を背負って読書している銅像でなくても「勉強することで道が開ける」という教えはできますが、せっかく浸透しているシンボルが減っていくのは残念な感じもします。皆さんはどのように感じるでしょうか。

(ちなみに、本当に金次郎がこのような日々を送っていたかどうかは定かでないようです)

今回の記事では、日光で生涯を終えた二宮金次郎にスポットを当ててみました。何か今後の生活や日光旅行の参考にしていただけると幸いです。