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日中は走りま線?【日中線】廃線跡を追いかける

現在の栃木県日光市から山形県米沢市まで、鉄道で結ぼうという野岩羽線があったことをご存じでしょうか。

もしこれが実現していたら、東京から宇都宮、日光、会津、喜多方を経由して山形に至るもうひとつの大動脈が存在していたことでしょう。

その一部として開業した日中線は、戦前の1938年に開業して約40年前の1984年に廃線となりました。日中線だった11.6キロのルートは、現在どのように姿になっているのでしょうか。

春の景色も楽しみながら、ぜひ最後までお付き合いください。

(2025年4月中旬の情報・風景です)

 

喜多方駅

日中線の始発駅、現在の喜多方駅を出発します。

現在もホームだった形跡があり、ひっそりと当時の面影を残しています。

西に進んで磐越西線と分岐して、徐々に北に向かっていきます。

途中から自転車歩行者専用道路となり、日中線の線路跡は観光名所として開放されています。線路上にはSLが保存されていて、今にも走り出しそうな雰囲気です。

4月中旬から下旬にかけては、約1000本のしだれ桜が咲く名所として知られています。

最初の途中駅、会津村松駅に到着です。

 

会津村松駅

国道459号線と交差する付近に、会津村松駅がありました。

残念ながらまったく形跡が残っていません。

日中線はもともと明治時代から構想があって、昭和に入ってからやっと地元の念願が叶って開通しました。そのまま米沢まで延伸する計画もあったのですが、戦争の影響もあって計画は頓挫。日中線だけが取り残されました。

東京から喜多方に至るルートも計画通りには進まず、紆余曲折あって現在は

・浅草から日光までは東武鬼怒川線

・日光から会津高原尾瀬口駅までは会津鬼怒川線

・会津高原尾瀬口駅から西若松駅までは会津線

・西若松駅から喜多方駅まではJR

そして、喜多方駅から熱塩駅まで日中線が結んでいたわけです。

その後、マイカー時代が旅行の足となったので、どちらにしても日中線の存続は難しかったでしょうが、仮に東京からここまで直通していたら、まったく違った景色になっていたことでしょう。

 

会津村松駅を少し進むと、専用道路は終わります。ここから先はクルマで廃線跡を追いかけることになります。

 

上三宮駅

このあたりが上三宮(かみさんみや)駅だった場所と思います。

形跡は残っていませんが、かなり市街地から離れましたので40年前の廃線当時の雰囲気に近いのではないでしょうか。

ここからさらに北上して次の駅、会津加納駅に向かいます。

 

開業当初は1日6往復走っていた日中線ですが、徐々に本数が減っていき、開業から10年後には1日3往復だけになってしまいました。

朝1本、夕方以降に2本という、まさに通勤通学、そして貨物輸送だけに使われる路線となってしまい「日中は走りま線」などと呼ばれてしまう始末でした。

日中温泉のネーミングは、終着駅からさらに4キロ程度先の日中温泉に由来しますが、その日中温泉に行くアクセスとしても不便だったようで、赤字は膨らむばかりだったようです。

それでも昭和49年(1974年)まで、本州最後のSLが走っており、地元住民や多くの鉄道ファンに愛された路線でした。

その後にディーゼル機関車に置き換わり、さらに10年後の1984年に廃線となりました。

 

会津加納駅

会津加納駅を示す駅名標はありますが、残念ながら形跡は残っていません。

それでも5つの各駅に丁寧に駅名標が立っており、地元の方々に大切にされていることがわかります。

その手前には、ぽつんと線路が残されており、改めてSLが走っていた当時を想像してしまいます。

さらに進んで、終着駅の熱塩駅に向かいます。

全国あちこちに鉄道の廃線跡がありますが、日中線はバス路線や生活道路に転用されたこともあり、比較的追いかけやすいルートだと感じます。

 

熱塩駅

喜多方駅から11.6キロ先の熱塩駅に到着しました。廃線となった直後は放置同然だった駅舎は、日中線記念館として残されています。

駅舎の資料館だけでなく、転車台(下写真)や信号なども残されており、日中線に携わった方へのリスペクトを感じます。

いかがでしたでしょうか。

大切に残されていることがわかる日中線、実際に追いかけてみると、桜の名所、記念館と見どころも多いルートでした。当時をご存じの方にとっては、たくさんの思い出が詰まった景色ではないでしょうか。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。