平成時代に入り、テレビ番組やCMで見かけることが多くなった、かわいいおさるたち。
いくつかの団体があったのですが、日光猿軍団を知っている方も多いのではないでしょうか。
この日光猿軍団、一度は閉園して、その後に平仮名表記の「日光さる軍団」と生まれ変わりました。この経緯には、運命の出会いとライバル関係、その先の復活物語があったことを知っている方は少ないのではないでしょうか。
今回の動画では、その40年以上の歴史を振り返ってみたいと思います。
運命のはじまり
実は猿まわしと呼ばれる、おさると人が一体となって芸を披露する文化は、明治維新後に急激に衰退して、1963年、一度完全に途絶えてしまいました。
復活の舞台は山口県、猿まわし師の血を引く村﨑太郎さんが父親と一緒に「周防猿まわしの会」を結成します。
漫才のようなノリで、テンポよく観客を沸かせるニホンザル、次郎の人気が上がっていき、1980年に上京。1988年「笑っていいとも!」で、太郎の膝に次郎が手をついてうなだれる「反省」で大ブレイクを果たします。
その太郎と次郎の活躍を、日光からテレビ越しに見ていた人物がいます。
間中敏雄さんです。当時は、様々な職を転々とした後、オープンしたばかりの日光江戸村の売店を経営していました。そんな間中さん、テレビで猿まわしを見てよほどの衝撃を受けたのでしょう。なんと独学でおさるに芸を仕込みはじめて、日光江戸村で披露するようになります。
おさるの世界に革命
間中さんは、1990年に日光猿軍団を結成。1992年には、ショーを披露するための常設施設、日光猿軍団をオープンします。
この日光猿軍団のショーは、発明とも言われたほど革命的でした。
通常の猿まわしは、おさると人が1対1で芸を披露するのに対して、日光猿軍団は、たくさんのおさるが生徒となった学校形式です。間中さんが校長役となって、猿まわしの役割を女性も担当するなど、斬新な内容でした。
様々なメディアにも取り上げられて、日光猿軍団の人気は爆発します。
これによって、正統派の「周防猿まわしの会」、そして新時代の「日光猿軍団」という構図が出来上がり、2つの団体はライバル関係となっていきます。
間中さんは、1999年に廃部を公表した日本最古のアイスホッケー部「古河電工アイスホッケー部」への資金援助を行って、現在に続く「H.C.栃木日光アイスバックス」復活に尽力するなど、地域貢献にも積極的に取り組んでいました。
惜しまれつつ閉園へ
大きな転機が訪れたのは、2011年の東日本大震災でした。
日光猿軍団の間中さんは、すでに最前線を引退しており、おさるのトレーナーは韓国人や中国人が勤めていました。
しかし、福島第一原発事故の影響によって、ほとんどの外国人トレーナーが帰国してしまいます。間中さんには、おさるのショーでキャリアを積んでいた次男がおりましたが、当時は別の団体に所属していたこともあり、後継者が不在という状況でした。一緒に歩んできたおさるの高齢化が進んでいたこともあり、日光猿軍団の閉園を決断します。
こうして日光猿軍団は、2013年に「お猿の学校」で卒業式を行って、大勢のお客さんが訪れたなか、惜しまれつつ閉園となってしまいました。
ライバルが立ち上がる
閉園した日光猿軍団の建物は、記念館として公開されていましたが、ここで立ち上がったのが、かつて憧れの存在からライバル関係となった村﨑太郎さんです。
「後継者がいないなら、私たちに任せてほしい」
という打診を受けて、日光猿軍団の施設は、間中さんから村﨑さんの手に渡ることになりました。
こうして「日光猿軍団」は、村﨑さんの手によって「日光さる軍団」として生まれ変わって、現在に至っています。
それぞれの現在
新しい「日光さる軍団」は、おさるランド&アニタウンとして、おさる以外の動物も一緒になって楽しめる施設にアップデートしました。またここでは詳しく触れませんが、村﨑さん自身も様々な社会問題と戦っており、おさるの文化と真正面から向き合っています。
おさるのショーから退いた間中さんは、元々経営していた神山温泉オートキャンプ場を、2014年に「日光まなかの森」と改めて、大自然を満喫できるアウトドア施設を運営しています。
そして間中さんの次男、利美さんは、2011年に「モンキーエンターテイメント」を立ち上げて、栃木市を拠点に活動をしています。保護されたおさるのみで構成されており、モンキーセラピーを広げたり、おさるとのふれあいに特化した楽しいショーを開催しています。
日光猿軍団が閉園して、しばらくしたら復活した...という流れは、私もニュースなどで聞いていましたが、その裏側ではおさるの魅力を日本中、世界中に発信しようとしている者同士の、ドラマチックな物語がありました。
きっと村﨑さんは、一度は途絶えてしまった猿まわしの文化を、見事に復活させた頃の記憶を取り戻したのではないでしょうか。
猿まわし文化の復活、それを日光からテレビで見た衝撃から日光猿軍団の誕生、正統派と新時代による切磋琢磨を経て、かつてテレビで見た憧れの方にバトンを託すまでの歴史を紹介しました。
おさるのエンターテインメントを見る目が、少し変わるのではないでしょうか。参考にしてもらえるとうれしいです。