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閉山から50年【木戸ケ沢鉱山】鬼怒川温泉はかつて鉱山の街だった

江戸時代を疑似体験できるアミューズメント、日光江戸村のすぐ奥に、本当に江戸時代から昭和後期まで続いていた鉱山がありました。

国道からも比較的近いので「こんなところに鉱山があったの?」という感じです。

その木戸ケ沢鉱山は、採掘と休山を繰り返しながらも賑わっていたのですが、今からちょうど50年前の昭和50年(1975年)に閉山してしまいました。

今回の記事では、現在どのような姿になっているのか、歴史も振り返りながら紹介します。

 

広大な敷地の日光江戸村ですが、その境界線を山の方に進んでみます。

奥に続く道は、どうにか通れる状態で残っています。

左を向くと江戸時代、右を向くと令和の住宅街、正面には大正時代に最盛期を迎えた木戸ケ沢鉱山という、不思議な感覚を味わえます。

山の斜面(下写真)を見上げると、管理されていないことが一発でわかるくらい、倒木が放置されています。

途中から渓谷沿いに歩く感じになります。

鉱物採集などを趣味にしている方は、おそらく向こう岸にも渡りながら探すのではないでしょうか。残念ながら私にはその知識がないので、このまましばらく奥まで行ってみます。

 

所々で配水管のような設備(下写真)が見えるので、これに沿って歩く感じになります。

おそらくかなり山の上の方で取水しており、この場所で頭上を横切って、そのまま日光江戸村に流れているようです。

そのすぐ先に、コンクリートで塞がれた坑口があります。

 

沢が合流(下写真)していますので、左の方に行ってみます。

少し進むと、坑口が塞がれた形跡(下写真)が見えてきます。

反対側にも同じようにありました。

現在の鬼怒川温泉の玄関口にあたるこの一帯には、かつていくつもの鉱山がありました。そのため、鬼怒川温泉が発展する前から馬車鉄道が通っていたり、特に大きかった木戸ケ沢鉱山は、最盛期の大正時代には年間540トンもの銅を産出していたようです。

近代に入ってから鉱山開発に関わった日本鉱業は、現在のENEOSグループに繋がっています。その日本鉱業は、同じ日光市にあった西沢金山も経営していました。

私の勝手な想像ではありますが、これまた同じ日光市に位置する足尾銅山が、古河財閥を形成するほどの爆発的な発展を遂げており、その勢いに対抗するべくこの一帯の開発も行っていたのではないでしょうか。

 

鉱物を集めたり運んだり、何かしらの建物があったのだろうと思います。

当時はどのような様子だったのでしょうか...

直射日光を浴びながら、草木が覆い茂る真夏も、そして寒い冬もここで江戸時代から採掘していたと思い浮かべると感慨深いものがあります。

 

先ほどの沢が合流している場所まで戻って、今度は右に進んでみます。

このあたりで引き返しましたが、斜面を見上げると古い建材が散乱しています。閉山後に何かを建てたとは思えないので、おそらく昭和時代、閉山直前まであった施設の名残だと思われます。

冒頭にも紹介した通り、木戸ケ沢鉱山は昭和50年に閉山してしまいます。この頃の日本は、空前の高度成長期によって生活やレジャーの様式が大きく変わってきた頃です。

すでに鬼怒川温泉では鉄道が走り、大型ホテルが次々に建てられて、東京から社員旅行の団体が押し寄せる流れが本格化しました。

こうして鉱山で活気づいていた街は、一気に日本有数の温泉地へと変貌していくことになります。鬼怒川温泉の名前が広まる以前には鉱山で賑わい、その跡地の一部には日光江戸村が建てられて現在に至っています。

 

 

観光地日光を、より深く知っていただくきっかけにしてもらえるとうれしいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。