会津にある、福島でもっとも歴史が深い神社をご存じでしょうか。
会津の歴史を振り返ると、白虎隊や鶴ヶ城など幕末を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし会津の歴史を巻き戻すと、幕末よりはるか昔「古事記」や「日本書紀」に記される古代の伝承までさかのぼります。

その長い歴史を今も受け継いでいるのが、福島県会津美里町に鎮座する伊佐須美神社です。
今回の記事では、伊佐須美神社の歴史をたどりながら、会津の成り立ちと歴史を深掘りしていきます。
岩代国一之宮

伊佐須美神社は岩代国一之宮(いわしろのくに いちのみや)として知られています。一之宮とはその国で最も格式が高い神社を意味します。
明治維新の際に現在の福島県にあたる地域は、岩代国と磐城国(いわきのくに)に再編されていました。会津地方と中通り地方にあたる岩代国、その一之宮が伊佐須美神社でした。

さらに近代社格制度では、国幣中社(こくへいちゅうしゃ)として扱われていました。
栃木県の日光二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)も同じ国幣中社であり、当時の国を代表する神社として位置付けられていました。
また江戸時代までさかのぼると、歴代の会津藩主である保科家、そして松平家からも厚い崇敬を受けて大切に守られてきました。会津藩を語る上でも、伊佐須美神社は欠かすことのできない存在だったのです。
会津の成り立ち

伊佐須美神社の歴史は「古事記」や「日本書紀」の時代までさかのぼります。
社伝によれば創建は崇神(すじん)天皇10年。約二千年以上の歴史を持つと伝えられています。
「古事記」には四道将軍(しどうしょうぐん)の一人とされる大彦命(おおびこのみこと)と、その子武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)がこの地で再会したことから「相津」と呼ばれるようになったという伝承が残されています。
やがて「相津」は現在の「会津」という表記になり、この地域の名前として受け継がれてきました。
また一説として、大彦命が進んだ道が阿賀野川、武渟川別命が進んだ道が鬼怒川になったとも伝えられています。
神話や伝承の世界ではありますが、このような物語が二千年近く語り継がれてきたこと自体、伊佐須美神社が会津の人々にとって特別な存在だったことを物語っています。
焼失から復興へ

伊佐須美神社は、過去に何度も火災の被害を受けています。
2008年の不審火では、本殿をはじめ神社の大部分が焼失しました。
二千年以上の歴史を受け継いできた神社だけに、その知らせは会津だけでなく全国へ衝撃を与えました。
現在も本殿の復興は続いていますが、仮拝殿では変わらず祭りや神事が執り行われ、多くの参拝客が訪れています。
そんな復興の途中には、実は幻となった壮大な計画もありました。
幻となった「天空の神殿」

焼失後の本殿再建にあたり、ひとつの大胆な構想が発表されました。それが「天空の神殿」と呼ばれた再建計画です。
高さ30m以上、総工費30億円という規格外のデザインで、従来の神社建築とは大きく異なる姿になる計画で検討されていました。
しかし、様々な意見や予算上の難題があり、最終的に実現することはありませんでした。長い歴史を持つ神社だからこそ、伝統を受け継ぐことと、新しい挑戦との間で難しい判断があったのかもしれません。
会津を見守る

伊佐須美神社の魅力は歴史だけではありません。
初夏には約10万株のあやめが咲く「あやめ苑」
夏には七夕祈願祭。

国の重要無形民俗文化財にも指定されている御田植祭(おたうえさい)など、四季を通して多くの行事が行われています。季節ごとに違った表情を見せてくれるのも、この神社ならではの魅力です。
会津と聞くと、幕末や白虎隊を思い浮かべる方が多いかもしれません。
しかし歴史の土台を築いてきたのは、古代から人々の信仰を集めてきた伊佐須美神社でした。
今回ご紹介したのは、その長い歴史のほんの一部に過ぎません。
会津を訪れた際には、ぜひ伊佐須美神社にも足を運び、この土地に流れる二千年の歴史を感じてみてください。