栃プロ

栃木発「プロフェッショナルな自分を目指そう!」

【ザッツ】rewrite

2022年度、宇都宮市民芸術祭の文芸部門にて、準市民芸術祭賞を受賞した短編小説【ザッツ】です。2019年から執筆することになり、4年目のチャレンジにて一定の結果を出せたことは自信になりました。

何が正解なのか見えない平成の世界、ケータイがぐんぐん進化する世界、日常がいつまでも続くわけではない世界において、いち青年の成長を描きました。製造業に勤める派遣社員が主人公ですが、業界や雇用形態を問わず、伝えたいメッセージを込めています。

「仕事って何だろう」

私なりに考えました。一読いただけると幸いです。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

ケータイの画面を開く。日付を見ると2月3日だ。

2008年の最初の月が終わり、やっと壁に掛かっている1月のカレンダーを破り捨てる気になった。派遣社員の今村賢司は、壁に近づき上半分がスポーツカー、下半分が月間予定になっているカレンダーを改めて見た。

どこの国だろうか、夜に輝くビル街を背景にして、スポットライトを浴びているスポーツカー、そのバンパーのあたりを自然と見てしまう。スポーツカーの売り文句は知っているが、日々流れ作業で作っている部品が、具体的にどこにどう使われているのかはわからない。本当に自分が携わっている部品はこの車の一部になっているのだろうか…バンパーの一部を作っているのは聞かされているが、スポーツカーを作っている実感はまったく湧かない。そもそも最新機能が満載のスポーツカーだ。衝突回避の自動ブレーキも搭載されているので、そのバンパーが役に立つ日は来るのか本当に疑問だ。

「本当に大きな事故でしたが、このバンパーのおかげで命拾いしました」

「このバンパーを作っていただいた全ての方々に感謝したいと思います」

そんなコメントがユーザーの口から出るとは思えない。

今村にとっては、作る部品がハンドルだろうがバックミラーだろうがどこでも構わなかったが、勤め先から配られるカレンダーを素直に使っている。パラパラと12月までのページをめくって、今年はこの12車種に力を入れるんだな、と嫌でも理解できる。カレンダーの月間予定は①が4日並び、空白が2日、それから②が4日並ぶという予定が繰り返されている。①は日勤、そして②は夜勤で、いわゆる二交代の4勤2休という働き方だ。派遣社員は時給で給料が決まるので、この①と②の数を数えて、残業どれくらいしたっけな…と振り返って、だいたいの次に振り込まれる給料を予想する。

「今月のバンパーの磨き具合は素晴らしい」

「今村さんが磨くバンパーは全然違いますよね」

そんなコメントが担当者の口から出て、時給アップすることはまるで期待できない。スポーツカーの売れ行きは絶好調らしい。2008年現在の日本、バブル崩壊から10年以上が経過して、すっかり日本は自信を失くしてしまっているように見える。金にモノを言わせて海外の不動産を買い漁っていたことに対して、バチが当たったかの如く今度は買い叩かれている。そんな不景気に慣れてしまった世の中でも、また懲りずにITバブルが起きている。ベンチャー起業家は国内で新しいケータイ用ゲームをヒットさせ、得た利益を派手なスポーツカーの排気ガスとして吐き出している。今村もこのところ残業が続いているが、何か評価されるわけでもなく、仕事に誇りが持てるわけでもない。景気の先行きや自動車業界の見通しなんかより、この時期の派遣社員の関心は、次の現場はどこだろうか、仲間とはそんな話が毎日のように起きる。

 

カレンダーの2月を見ると相変わらず①と②で埋まっている。今村は昨年春からこの自動車メーカーで働いているが、派遣社員ということで1年おきにあちこちの製造現場に移っている。24歳の今村はもう6年間、このような派遣という働き方を続けていた。高校3年生の夏、弟や妹がいる家計の問題もあったが、それ以上に大学や専門学校に行きたいというモチベーションが起きず、さらに働きたい仕事が見つからず、進路に関しては随分と悩んだものだった。

就職活動をどうしようか…卒業までのカウントダウンに危機感が高まった頃に、進路指導の先生が求人票を使いながら派遣社員という働き方を教えてくれた。今村にとって正社員といえば、大渋滞に巻き込まれながら毎日残業が続き、たまに上司に同じ居酒屋に連れられて、テレビで見ているコントのようなダラダラした時間を過ごすイメージだった。このイメージこそが、今村が積極的に就職活動をしない一因になっていたので、派遣社員の話を聞いた時は信じられない幸運を感じた。これならやってもいい!もっと早く派遣社員という仕組みを教えてくれてもいいのに。どうしてみんな派遣社員として働かないのだろう?今村はまだ働いてもいないのに余計な疑問を持っていた。

派遣社員は、正社員のように遅い時間まで残業することはなく、休みの日に呼ばれることもまずない。ロボットには対応できないアナログ作業を任せられ、その程良い難易度がある一方、基本的には単純作業を毎日繰り返せば良いのである。いきなり他部署の手伝いをすることもなければ、人事異動でいきなり営業現場に駆り出されるようなハプニングも起きない。派遣社員は、希望職種として製造を申し出ているうちは、何年経っても製造現場でのみ働くことになる。そして派遣社員が呼ばれているということは基本的に忙しい現場なので、それなりの歓迎を受けている気がした。やがて仕事に慣れて、現場リーダーとの薄く表面的な人間関係にちょうどいい距離感を覚えていく。

「派遣社員は評価とかしなくていいので、管理する方も楽で助かります」

「今村さんはロボットのように文句も言わずに働いてくれて助かります」

口が裂けてしまったら、担当者のこんな心の声が聞こえてきそうだ。カレンダーの2月9日には、一言「印カン」と書いてある。この日は派遣会社の担当者との面談を控えている。すでに4月以降の製造現場は聞かされている。次は食品メーカーだ。食品メーカーは経験があるので、衛生管理の考え方やベルトコンベア主体の製造ラインなど、ある程度の勝手はわかっている。改めて面談を通じて、次の現場の仕事内容、労働条件を教えてくれるので、了承したら印鑑を押して1年契約が結ばれる。今村だけでなく多くの派遣社員は、この恒例行事を行ってしまえば次の仕事の心配をする必要がなく、派遣社員としてまた平穏な日々に戻る。

 

3月末になり今村は、バンパーを作っている現場の正社員や派遣仲間に挨拶をして、自動車メーカー最後の出勤日を終えた。特に仕事における大きな失敗も思い出もなく、ほんの少しの寂しさを感じながらも荷物を整理して工場を出た。夜勤明けだったので、朝日が眩しかったが、まだ朝は寒い季節。振り返ることなく車に乗り込み、カウンターでいつもの牛丼を食べて明日明後日の連休は何をしようか、次の現場である食品メーカーまでの通勤路くらいは確認しようかな…そんなことを思っていたが、アパートの部屋に到着する頃には最近熱中している格闘系ゲームのことを考えていた。

今村にとって4勤2休の一番良いところは、連休初日に思いっきりゲームをして、それこそ眠くなって倒れるまで遊べることだった。仕事疲れはもちろんあるのだが、早朝に自宅に帰っても目が冴えてしまって寝られず、次の日勤に向けて体内時計を調整するためにそのまま夜までゲームをして過ごす、このような生活を続けている。友人と言える派遣仲間は、インターネットカフェに入り浸っていたり、パチンコで今月は勝った負けたと一喜一憂していたり、なかには製造に関する資格取得に向けて勉強していたり、いろいろな生活を送っている。今村はギャンブルもやらなければタバコも吸わず、我ながら真面目な大人になったものだと思っている。もちろん仕事をしていて、ちょっとしたストレスを感じることもあるが、安い酒を飲みながら格闘系ゲームに集中すると、画面外のことは一切忘れてしまい、そのまま眠るので、気持ち的にはリセットした状態で次の出勤を迎えていた。

 

4月から働くことになった食品メーカーでは、初めて品質管理を担当することになった。品質管理といっても何かを専門的に検査するわけでもなく、出来上がった惣菜に異物混入など異常がないか目視確認をしながら箱詰めするだけだ。惣菜は数時間後にはコンビニに並ぶことになるのだが、今村にとっては興味がなく、自分が箱詰めしている物は食べたことがあるのかないのか、それすらもわからないまま機械になったつもりで黙々と作業を続けた。

どんなに注意深く次々と流れてくる惣菜を見ても、1週間に1件はコンビニからの返品が発生してしまう。一応クリーンルームのような工場で衛生管理には全員が注意しているように見えるが、小さいゴミが入ったり、容器破損トラブルが発生してしまう。品質管理を担当している正社員、派遣社員の全員が呼ばれて、抽象的で儀式的な反省会をすることになっていた。

「なぜ品質管理は人間の目でやるのかわかっていますか?」

という質問は何度聞かれたかわからない。そして、どのような答えを返しても

「だから皆さんがしっかりやらないと困るんです」

このあらすじ通りの結論は変わらない。

新卒の正社員として入社した3人は、陰で「あれだけの量を作ってりゃしょうがなくね?」とか「随分細かいゴミまで気になるんだなぁ」とか「俺は品質管理に向いてないよ…」とか言っている。今村にとって、彼らの小言が気にならないわけではない。「まあでも、いろいろ経験しておかないと現場のマネージャーになれないし、慣れるしかないよ」と先輩社員は励ましていたが、実際その通りになっていた。あれだけ小言を言っていた新卒の正社員は、やがて現場をまとめるマネージャーとなり、当日の出荷量や人員配置を決めるだけでなく、コンビニからの返品やクレームがあった際に、今度は今村たち派遣社員に対して指導する立場になっていた。今村が毎年どこの製造現場に行っても、ほとんど同じような流れで新卒の正社員がいつの間にか上司になっていく。

「自分の方が真面目にコツコツ働いているのに…」

「正社員だってミスばっかりで遅いくせに、反省してない」

今村の心の中では小さな文句が溜まっていくが、彼ら正社員と違って休日出勤があるわけでもなく、何にもならない会議や研修があるわけでもないので、派遣社員という働き方も悪くないと自分に言い聞かせていた。

今村は24歳。茨城の高校を卒業して、食品メーカーを転々とし、それから医療器具メーカーで1年、自動車メーカーで1年、ずっと派遣社員として働いている。この春からはまた食品メーカーだ。最初の勤め先が茨城県外だったので、実家を出て自立して、住む場所も転々としながらアパートを借りて暮らしている。1人の生活にもすっかり慣れた。椅子にふんぞり返って偉そうにしているだけの、ひどい上司がいる現場なんかは印象に残っているが、そこでどんな仕事をしてきたのか、中身については記憶が薄い。そして配属先がどこであっても、とにかく何時から何時が仕事なのか、つまり何時から何時が自由時間でゲームに集中できるのか、何曜日に仲間と夜遊びに繰り出すのか、そんなことばかり考えていた。考えていることはまるで高校生の頃と変わらない。リラックスとは無縁の窮屈な職場と、その職場を一歩出て感じる気楽さを行ったり来たりの日々だった。

今村はすでに何年も勤めているが、社会に出た強烈な実感はなく、単調な日々が過ぎていった。2008年、この年の暮れまでは。

 

2008年の秋くらいから、リーマンショックという言葉を頻繁に聞くようになった。新聞を読まず、テレビもあまり見ない今村にとっては、アメリカでとにかく大変なことが起きて不景気らしい、その程度の肌感覚だった。

次第に雲行きが怪しくなってきた。今村の同期、派遣社員として自動車メーカーに勤めている仲間が契約途中でも半ば強引に雇い止めになっていた。とにかく仕事量が激減して、工場自体が稼働しない日が増えているとのことだ。食品メーカーで働く今村も心中穏やかではなかったが、心のどこかで「食べ物は毎日のことだし、この現場は大丈夫だろう」と自分の幸運に感謝していた。

家庭を持っている仲間は大変だった。多少の失業保険はあっても、予定外の雇い止めなので急に慣れない就職活動をしなければならなかった。一方で、今村のように一人暮らしだったり、実家暮らしで緊急性がない仲間は、せっかくだからゆっくり休もうとしていたりする。

年末になり、雇い止めになった派遣社員がいよいよ生活が崖っぷちになり、派遣村と呼ばれる炊き出しに集まる映像がテレビで流れた。自分も派遣社員ではあるが、今村はまるで他人事のように、仕事がないと訴える派遣社員のインタビュー映像を見ながら夕飯を食べ、ゲームの時間を楽しんでいた。グローバルメーカーといわれるような大手企業は、不景気をまともに受けて非常に苦しい経営状況になっているらしい。明らかに回復の見通しがない企業は、コスト削減のために目の前の社員を減らすことがもっとも効果的な取り組みだ。こうなると、そもそも終身雇用ではない派遣社員を優先的に減らすのは当然だった。「派遣切り」なんて言葉も生まれているらしい。

テレビニュースは淡々と、企業が立て直しのために何千人削減、何万人削減と、まるでお金を数えるような単位でコストカットしている取り組みを報道している。それと同時に

「派遣って何だっけ?」

「派遣ってあっさり切られるの?」

このように派遣という働き方にもスポットライトが当たるようになった。そのスポットライトは、スポーツカーのように光り輝くように照らされているわけではなく、下から炙り出されるようにネガティブなイメージが浮き彫りになった。

派遣社員という働き方って、こんなに世の中に知られず、仕事を失うリスクもあるなんて夢にも思わなかったが、2月になった頃にはそのリスクが今村自身にも襲ってきた。派遣会社の担当者が職場にやってきて、いつものように4月以降の現場について紹介されるかと思っていた。担当者から出た言葉は「しばらく紹介できる現場がありません」だった。

担当者の説明は淡々としていた。ここの食品メーカーも生産量が激減したので、これからは夜勤がなくなり工場は日勤だけになるらしい。それでも正社員の数が多すぎるので、営業担当者も事務担当者も一部は製造現場に回ることになる。担当者は言わなかったが、工場で働く正社員の雇用を守るためであることは明らかだった。そして派遣社員は真っ先に削減される。これが日本中で行われている。派遣切りという言葉を思い出した。契約途中での解雇ではなかったので、今村としてもまだ落ち着いて向き合うことができたが、目の前に座っている担当者も「お願いだから、これ以上何も言わないでほしい…」という雰囲気を全身から醸し出している。ひょっとしたら、話を聞いて激怒する派遣社員もいることだろう。何しろ、ついこの間までは「あの現場が忙しいから、ちょっと遠いけどお願いします」とか「最新の工作機械を使えるチャンスはなかなか貴重ですよ」なんて言いながら、次から次へと現場を回っていたのだ。景気が悪くなったら、シャッターをガラガラと下ろすかのようにおしまいだ。

今村はせいぜい「もしどこかの現場で仕事があったら、また連絡してください」と返事をすることくらいしかできなかった。希望はなさそうだった。担当者から「また連絡します」と言ってこなかったことが見通しの暗さを物語った。派遣会社の担当者に怒りをぶつけてもしょうがないし、とにかくこの食品メーカーで残り数週間は勤めるので、そのうちに次の仕事をどうにか決めよう。面談の終わり頃には、そういえば転職活動ってどうやるんだろう…そんなことを考えていた。

今村が働いている現場は、全員が顔全体を覆うマスクに、クリーンルーム仕様の全身スーツを着ている。手を動かしている時間は黙々と働いているが、1日に3回ある休憩時間はもっぱら「次の仕事をどうするか?」という話題になった。派遣社員は今村を除くと3人だ。全員がこの現場で初めて顔を合わせたが、1年近く経つので何かと話せる仲にはなっている。

新卒の小山田は明らかに困惑している。今村と同様、派遣社員という働き方を完全に理解しない状態で社会に飛び込んできた。「次の仕事がありませんってどういうことですか?」と今村は聞かれたが、どう答えていいのかわからなかった。「派遣社員ってそういう存在だよ」では絶望感がある。「景気が悪いからしょうがないよ」では、正社員は仕事を続けられる説明にならない。「次こそは長く働ける正社員になろうよ」と言いたいところだが、今村の立場では説得力がない。

「言ってもしょうがないよ」

休憩室の片隅で、社会人の先輩として言えるのはこれだけだった。

残り1ヶ月程度で転職活動をしなければならないので、小山田にとっては1年前の新卒の就職活動より厳しい。他2人は今村と同世代だ。今までも職場を転々としてきたらしく、しょうがないから次を探さなきゃな…くらいの感覚だった。その2人も求人情報を探しながら、3月に入った頃には焦り出した。検討できる求人がまるで出てこないので、そもそも応募すらできていないらしい。これは今村も同じだった。介護に関わるような専門職だったり、とてもできるイメージがない営業職など求人自体はあるのだが、製造業や軽作業のような仕事は皆無だった。

「いったいどうなってしまったんだ?」

3月中旬には、失業保険の仕組みを調べはじめ、実家がある茨城にUターンすることも視野に入れはじめた。栃木で一人暮らしを続けて、余裕があるわけはないけれど、どうにか経済的に自立していることに誇りを持っていた今村にとって、Uターンは屈辱的な選択肢だった。

春からどうしよう…小さなストレスを抱えながら相変わらずアパートではゲームに没頭していた。具体的に何をするのか決まらないまま、食品メーカーでの最終日を迎えてしまった。新卒の小山田も仕事が決まっていないらしい。もっとも若い小山田は、いくらでも転職するチャンスがあるかと思われたが、この春の新卒の入社と重なることが不運だった。確かに企業目線で考えてみたら、待っていれば次の新卒が入社してくるわけで、このタイミングで小山田を採用するメリットはあまりない。今年の新卒内定者にとっても、内定取り消しが相次いでニュースに取り上げられている。内定ってどういう意味なのか、コメンテーターが誰のせいにもならないような解説をしているが、そんなことはどうでもよかった。

 

今村は深夜勤務が苦ではなかったので、夕方から翌朝にかけた時間帯でコンビニで働くことにした。深夜時給は1300円を超えており、家賃も払ってどうにか生活は維持できそうだ。アルバイトなら休みの都合をある程度は聞いてくれるだろうから、チャンスがあれば求人に応募して面接をすればいい。

履歴書ってどうやって書くんだっけ?

面接では何を聞かれて何を答えればいいんだっけ?

本屋で立ち読みによる突貫工事で対策を考えて、コンビニに電話した。「求人の張り紙を見て電話したんですけど…」と聞くと「時間帯は?」とぶっきらぼうに聞いてきた。「深夜を希望します」と伝えたら、間髪入れず「ちょっとそのまま待って」と言われた。この電話を切りたくない雰囲気が伝わった。「今夜10時にお店に来てもらえればお話できます。私服でいいし、何も持ってこなくていいですよ」と丁寧に提案され、まったくスムーズに面接に進み、その場でユニフォームの試着を行い、勤務開始日が決まった。

コンビニのアルバイトは今村にとって新しい挑戦の連続だった。「いらっしゃいませ」と当たり前のように挨拶することは本当に難しく、考えてタイミングを見計らって声に出さないといけない始末、レジのお金の数え方は裏方でわざわざ店長と練習することになった。

店長はこのコンビニの、いわゆるオーナー店長で、すでに定年を超えているように見えた。深夜の人手不足で店長自ら接客をしなければならない状況だったらしく、毎日のように深夜勤務できる今村は歓迎された。今村はその店長を店長と呼ぶべきか、オーナーと呼ぶべきか、初日はずっと悩んでいたが「加藤さんでいいよ。お客さんから見ても自然だし」と答えてくれ、悩むより先に聞けば良かったと後悔した。

その加藤さんは愛想が良く、客にも今村をはじめとするスタッフにも気軽に話かけていて、まったく今村の過去については聞いてこなかった。26歳で無職、初めて書いた履歴書は製造現場だらけ、なぜコンビニの仕事に応募したのか、聞かれても答えられるように面接の準備をしたが、加藤さんは「いつから働けるんだい?」これしか聞いてこなかった。

すっかり拍子抜けした今村だったが、いつも利用しているコンビニは、店員の立場になってみると、細々した仕事が多く、想像していたよりも大変だった。商品を見栄え良く並べる、賞味期限を確認する、商品の個数を数えて発注する、届いた商品に異常がないか今度は確認をする立場だ。加藤さんは「こんなの年寄りでもできるんだから、どうってことないよ」とか言いながら、タブレットの操作を教えてくれる。確かに操作は簡単だが、合間合間でレジを打つことになり中断されるので、なかなか仕事が一区切りしない。

数日に1回は惣菜のサラダが痛んでいたり、容器が割れてしまったり、納品時に確認をして工場に返品することがあった。加藤さんはまったく気にすることなく「いつもご苦労さん、レタスが腐っちゃって売り物にならないやつは返品させてもらうよ」と商品チェックをしながら配送業者に伝えていた。その配送業者は食品メーカーに連絡することになるのだろう。食品メーカーに連絡が届き、製造現場にレタス事件が行き渡る頃には「今週3件目です。これ以上クレームが増えると信頼関係に関わります。なぜ品質管理の仕事はロボットではなく人間の目でやるのかわかりますか?」とピリピリした雰囲気で伝わるのだから不思議だ。

もちろんミスはゼロを目指すべきだが、今村にとってはそうじゃなくても機械のような仕事をしているのに、さらに機械のようになりなさいと言われているようで、どうしたら良いのかわからない反省会をしていたものだった。

加藤さんの「いつもご苦労さん」の方がよほど働きがいが出るのではないか。スポーツカーのカレンダーよりも報われる気がする。

 

3ヶ月もすると今村は、ほぼ全てのレジ操作ができるようになり、加藤さんと顔を合わせる日が少なくなった。仕事中に考える余裕もできてきて、いったいいつまでここで働くのだろう…そんなことを思っていた。雇用契約は1年ごとだが「今村くんがやりたいだけやればいい」と言ってくれて、その気になればいつまでも働けそうな雰囲気だった。深夜ばかり働いているので、結果的に交代制の製造現場よりも月給が高くなった。

今村はここでも正社員として働くって何だろう、そう思わずにはいられなかった。余計な人付き合いもなく、仕事以外は自分時間として格闘系ゲームに熱中している。年金も社会保険も払っているので、とりあえずやるべきことはやっているだろう。しかし、今の生活は両親には報告していない。雇用形態とはつまり、ただの見栄の問題なのか。正月に会った時に、変わらず製造現場で忙しく働いている、と話したきりなので、その情報のまま更新されていないはずだ。アルバイトでも充分に幸せに暮らせるじゃないか、他の派遣仲間はどうしているんだろう、そんな心配をしていた。

加藤さんの世話になりながら、1年経った頃にはすっかりコンビニの運営についてわかってきて、頼りにされるようになってきた。後輩の新人に教えたり、本部から指示のあるキャンペーン準備をしたり、ちょっとしたクレーム対応もできるようになってきた。今村は仕事に慣れてきたことによる居心地の良さを感じていたが、それよりも加藤さんに必要とされ、仕事を任されている実感があり、仕事に対する前向きな気持ちを持ちはじめていた。

加藤さんは、今村の過去だけでなく今後についても一切聞いてこない。アルバイトをはじめた頃は、求人情報をいつもチェックして、何か製造系の仕事はないだろうかと、暇つぶしのようにフリーペーパーをめくっていたが、そんなこともしなくなった。2008年の暮れは随分と派遣切りが騒がれたが、1年経って騒動も落ち着いてきたようだ。構造改革とかIT革命とか、わかるようなわからないような単語が聞こえてくるが、今村にとってはどうでもよく、経済の立て直しよりも最新型ケータイの進化に驚く日々だった。

 

コンビニの仕事は繰り返しの作業も多いけど、常に新商品が出てくるので、どのように棚に並べるのか、どのようなPOPを作るのか考えなければならなかった。ここでも加藤さんは「やってみなよ」とほぼ丸投げだった。昼間に働く主婦や学生の方が、楽しいPOPを作るのに向いているだろうと感じるが、深夜中心に時間の都合がつきやすい今村が適任で、こういった雑用もするようになった。手書きでメーカーからの指示書通りにカードに商品紹介を書いてみる。マーカーで色を付けたり、シールを貼ったりして、どうにか楽しい雰囲気のPOPにして陳列棚に設置した。今村は作業をしながら、自分が作ったPOPに客が目を向ける瞬間を気にしていた。それで買ってくれることもあるし、ほとんどの場合は通り過ぎてしまう。

自動車部品を作っていた頃は、最新の工作機械で毎日大量に部品を作るものの、それがどう役に立っているのか実感がなかったし、知りたいという気持ちも起きなかったが、今ではたった200円のスイーツをアピールする手作りPOPを見てくれるか、買ってくれるかを毎日気にしている。仕事のやりがいは金額や大きさではなかった。

いつの間にかコンビニの雑用係として定着して、加藤さんは「ザッツ」と呼ぶようになった。20代半ばであだ名を付けられるのは恥ずかしい気もしたが、加藤さんとの距離が縮まったような嬉しさがあり、悪い気はしなかった。他のパートやアルバイトも、客がいないところでは「ザッツさん」「ザッツくん」と呼ぶ。今村のキャラクターとは関係なしに、加藤さんの人柄が自然と周りを巻き込んでいる気がした。

深夜のコンビニは1人で働いている時間も多く気楽だったが、防犯にも注意しながらの勤務だった。酔った客が店の前に座り込んで寝てしまったり、店内で若者が騒ぐこともあった。それでも他の客の目があるからか、事件らしい事件が起きたことはない。不景気だろうが、政権交代で政治がゴタゴタしようが、日本が平和な国で本当に良かった。それよりも気になるのは、遅くまで働いているサラリーマンが随分と多いことだ。深夜11時に弁当を買っていき、それを食べるのは12時くらいか。また6時、7時には目を覚まして出勤の準備だろう。ほとんど帰って弁当食べて寝るだけではないか。これが35年ローンで新築の家だったら、寝室と食卓のために働いて建てたようなものだ。そんなことは余計なお世話だろうが、サラリーマン人生それでいいのだろうか、さらに弁当を買って帰るサラリーマンは総じて覇気がない。深夜で疲れていることを差し引いても、とても健康的には見えなかった。コンビニ弁当は値段と見栄えと味付けが優先で、栄養は後回しであろうことは誰の目にも明らかだが、いくら仕事上で優秀だったとしても、やっぱりサラリーマン人生それでいいのだろうか。

サラリーマンや学生は基本的に近所に住んでいることが多いようで、自然と顔を覚えていく。その顔を観察することが、今村の楽しみになりつつあるが、楽しみと同時に心配もしていた。優秀な成績で大学に進学し、希望する会社に入社して数年経った結果、毎日のように遅くまで働き、1人でコンビニ弁当を買って帰り、健康管理とは真逆のベクトルで過ごしている。金曜日は遊び歩いてストレス発散して、もっと帰りが遅かったりする。このようなサラリーマンをカウンター越しにたくさん見ている。今村もそうだったが、派遣社員は不景気でリストラされてしまい、今では違う種類の仕事に就いている人達も多いだろう。リストラされずに残った正社員のサラリーマンは、それはそれでその日暮らしをしているように見える。いったいどっちが幸せなのだろうか…

たまたま深夜に加藤さんが一緒だった日、思い切って身の上話をしてみた。

今村の就職活動は、学校に言われるまま派遣会社に登録して、いろいろな現場に飛ばされながら、ひたすら同じような仕事をしてきたこと。リーマンショックで仕事を失ったこと。初めて無職になり就職活動をしたけれど、面接にすら進めなかったこと。自虐的な表現も交えながら、ザッツに至る経緯を説明した。

「本当に加藤さんには感謝しています。あのまま無職が続いたら、ヤケクソになっていたかもしれません」

「こっちこそ、こんな遅い時間に働いてくれるのはありがたいよ」

「私が入るまでは、加藤さんがこの時間を埋めて大変だったんじゃないですか?」

「募集すればいくらでも応募はあるんだけどな。なかなか人を育てるって難しいんだよ」

人には苦労するようだ。

「私はいろんな仕事を任せてもらえてありがたいです」

「ザッツは自信を持っていいと思うよ。強みがある」

自信を持った方が良いなんて話が出たのは意外だった。そして今村にとって、自分の強みなんて改めて考えたことがない。

「ザッツは面接で履歴書を持ってきたけど、ザッツの顔と履歴書をさっと見たらもう大丈夫だったな。とにかくすぐに働いてくれと思ってた」

「履歴書を書いたのは初めてでした」

「だろうね。書いてあることはつまらなかったけど、あちこちの現場でちゃんと契約終了まで勤めていたじゃないか」

「そんなこと当たり前じゃないですか?」

「これがそうでもない。残念ながら勤めている途中で、自己都合により退職、こればっかりの若い奴も多いな…そりゃ生きてりゃいろいろあるだろうけど、ちょっと正社員で働いてすぐ辞めて、みたいな働き方ばかりじゃ、気楽なアルバイトではもっと続かないよ」

コンビニオーナーというのは、みんなそんなことを思いながら採用や教育をしているのだろうか。今村が加藤さんと初対面したのは、面接らしくない面接の場だったが、そこでの様子や履歴書を覚えていたことに驚いた。派遣社員として働いた現場では、正社員がいつの間にか現場の管理をするようになり、しかし、いつの間にか何人か退職していて、また春になると新入社員が入ってくる。こんなことの繰り返しだった。

「ザッツの一番の強みは素直なことだよ」

「はぁ…」

「そこは素直に喜びなよ。普通は指示されると嫌な顔をするか、嫌な顔がばれないようにするか、どっちかだよ」

短く刈り込んだ白髪、皺だらけの顔で笑っている。加藤さんと仕事以外でこれほど話したことがなかったが、今村は嬉しさと複雑な気持ちが混ざった不思議な深夜勤務だった。加藤さんに認めてもらっているのは嬉しい。その一方で、自分は何かを主張したり決断したりすることが苦手で、いつも流されている感覚があった。

偏差値がちょうどいい高校を選び、高校では数学が平均点より高いという理由だけで理系クラスになった。ここで大学を目指しても良かったが、進路が多すぎてどうしたら良いかわからず、家計的にも早く働いた方がいいのかな、と思い就職に向けて動いてみた。就職活動は初動が遅かったこともあり難航した。最後の方で進路指導の先生が派遣社員という働き方を紹介してくれた。

「大きい工場で安定した環境で働けるよ」

「残業とかほとんどないし、ちゃんと教えてくれる体制があるから安心できるよ」

「ものづくりは日本を支える産業だから、将来も安心だ」

先生が就職前に言ってくれたことは、リーマンショックほどの大きな出来事が起きなければ正しかった。そのリーマンショックで仕事を失い、今は加藤さんと話している。言葉にすると2分程度で駆け抜けられる人生25年だった。

今村が流されてばかりと感じていた人生は、加藤さんからは素直と褒められる。一切口ごたえをしたこともなく、何につけても決めてもらった方が楽な性格だと自覚していたが、それはそれで強みといえるのかもしれない。

「雑用でも何でも、加藤さんがいるから頑張ってます」

コンビニで働くようになり、今村はカレンダーに〇印を書かなくなった。次の出勤日が自然と頭に入っており、この日は誰に何を教えるのか、次の日は何の商品入れ替えの準備をするのか、すでに考えられている。

「そういう気持ちで働いてくれるだけで、充分こっちもありがたいよ」

加藤さんの言葉を聞いた今村は感じていた。たった1人でもいい。頼りにしてくれる人がいるだけで頑張れる。

 

数ヶ月が経ち、食品メーカーの現場では新卒の派遣社員だった小山田と会うことになった。シフト交換を相談することくらいしか、派遣仲間と連絡先を交換する目的がないので、忘れかけていた後輩からの電話には驚いた。

月曜日の夕方、今村の出勤前のタイミングでファミレスで会うことになった。聞けば、小山田は現在も派遣社員として家電量販店で携帯電話を売っているようだ。2010年になっても携帯電話の進化はさらに加速しており、インターネットに繋がったり、買い物の決済まで可能になって全世代の生活必需品になりつつあった。回線契約とセットにして格安で売れば、いくらでも売れるらしい。小山田は派遣社員として、週末を中心に県内あちこちの売れそうな家電量販店に行き、一日中携帯電話を販売している。昨日の日曜日も立ちっぱなしで売りまくったようで、言われてみれば目も充血して疲れているように見える。

「売ったら売っただけ報奨金がもらえるのでいいっすよ。今村さんも一緒にやってみませんか?」

と聞いてきた。

「もし俺を紹介すると、それはそれで報奨金が入るんだろ?」

今村は冗談半分に聞いてみた。

「正直それはあります。今はどこのケータイ屋もシェア争いで、とにかく販売スタッフが必要って状態です。スタッフを紹介すれば、ちょっとした小遣いはもらえます」

今村は、自分が紹介されて小山田に報奨金が入ることより、結局忙しい現場でいいように使われている小山田の方が心配になった。やっている現場が工場か店かの違いはあるが、便利屋のように回されて同じことを繰り返している構図は一緒だ。

「ちなみにその仕事って楽しいのか?」

やる気はゼロだったが今村は聞いてみた。

「楽しいかって聞かれると困るんですけど、一緒に派遣されるのは女の子ばっかりで賑やかだし、実際の契約なんかはケータイ屋の社員がやるから楽は楽っすよ。とにかく売り場に並んでいるケータイを手に持っている客がいたら声をかけて、うまく話が盛り上がったら、後は社員にバトンタッチしてお任せって感じですね」

とてもではないが、やる気のバロメーターはゼロを通り越してマイナスになっていた。人助けにでもならない限り、まったくやってみようとは思わない自分に、今村は驚いていた。何か大きなきっかけがあったわけではないが、1年以上コンビニでアルバイトを続けてきて、今村のなかで何かが変わっている。

今村は世間話をしながら、かなり迷っていた。小山田に「お前の貴重な20代はそれでいいのか?」と聞きたかったが、25歳のアルバイトが説教気味に問い詰める内容ではないだろう。「もっとやりがいがある仕事に挑戦してみたら?」と提案したかったが、雑用にやりがいを感じているザッツに言われて説得力あるだろうか…

小山田にとって、やればやるだけ収入が増えることだけが製造現場とは違うようだ。

「昨日も良い感じで売って稼げたので、ドリンクバーはおごりますよ。誘ったのこっちですし。もうすぐ冬のボーナスシーズンだから、稼ぐならチャンスですよ」

と小山田に言われて、今村は悩むのを止めた。

「アルバイトとはいえ、一応俺もコンビニで働いているから、ちょっと考えさせて。待たせるのも申し訳ないから、別な人もどんどん誘ってみたらいいよ」

今村は最後まで腹落ちしない感覚が残った。

このファミレスで話した1時間は何だったのだろう。小山田に相談されても、結局説得力があることを言えなかったのは、派遣契約が終了する前、食品メーカーの休憩室で雑談した時と同じだった。こんな言い方はしたくないが、小山田はスタッフ紹介による報奨金が目当てで、今村を誘ってきたのは明らかに思えた。ドリンクバーをおごってくれはしたが、会いたい人にあったわけでもないし、むしろ会わない方が良かったとさえ思う。それと同時に、今村は何かを伝えたいが、自分にはそんな資格があるのだろうか振り返ってみた。

その一方、今村から見て小山田は悪い人ではなかったし、声をかけてきたのは、ひょっとしたら今村が仕事やお金に困っているかもしれないと心配して、助けたい気持ちがあったからではないか…気軽な雰囲気を演出した善意だったのかもしれない。もっと単純に、今村だったら誘いに乗ってくるだろうと思われていただけで、何も深い理由はなく誘ってきたのかもしれない。加藤さんから頼りにしていると褒められて以来、何か気持ちが晴れた気がして毎日を過ごしていたが、足元はぬかるんでいるという事実を突きつけられた気がしていた。

 

年末年始になった。この時期はいつもは日勤で働く主婦が連休をとることが多く、今村は夜勤だけでなく日勤でも働くことが増える。住宅街に近いコンビニなので、正月は客数が激減して弁当の値引きセールなど行うのだが、昨年も今年も変わらず、正月らしい静かな時間とBGMが店内に流れている。

休憩時間に今村は茨城の実家に電話を入れた。派遣社員で工場勤めだった頃は、年末年始は長い連休があったのでゆっくり実家で過ごしていたが、この2年はアルバイトを優先して電話で連絡するのみだった。父親は百貨店の管理部門で勤めており、母親はスーパーでパートタイマーとして働いているので、同じく年末年始は働いている。自宅にかけても誰も電話に出ず、それぞれの携帯電話にかけて形式的な年始の挨拶と、とりあえず元気に働いていることを報告をした。

今村の両親はずっとサービス業で勤めてきたので、夏休みや年末年始も働いていることが当たり前だった。子どもの頃の今村にとって、お盆や正月を旅行先で過ごすというのが一種の憧れであった。いわゆる繁忙期にはむしろ両親の帰宅が遅くなり、残業という言葉も小さい頃から知っていた。クラスメイトが大型連休に遠出した話を聞くと、羨ましい気持ちと諦めの気持ちが絡み合って、その気持ちが完全には消えないまま高校生になり、就職活動のタイミングを迎えた。進路指導の先生に、どういう仕事をしたいのかイメージはあるのか?と聞かれた今村は、なぜか数年来の本心をぶちまけて「お盆や年末年始にしっかりと休める環境で働きたいです」と伝えた。どういう仕事がしたいというより、こんな働き方は避けたいという考え方で、結局は派遣社員に落ち着いた。その本心を両親に伝えたことはないが、進路に関して家ではまったく反対も質問もなかった。当時は、高卒でもちゃんと就職できたから、親としては文句ないだろうと勝手に解釈していたが、両親にとっては息子がサービス業を選択しなかった時点で何か思うところがあったのかもしれない。

「本当に来る日も来る日も工場勤務でいいのか?」

「サービス業で勤めるのも面白いぞ」

本当は言いたいことがあったのだろうか?派遣社員として働いて、念願の大型連休は手に入ったが、帰省しても基本的に両親はおらず何もすることがなかった。父親は管理部門だったが初売りでは特設会場で福袋を売っており、その忙しさの反動で帰宅後は無口になっていた。父親から見て、息子賢司はどう見えていたのだろうか?リーマンショックで派遣業界が荒れていた正月は「賢司の会社は大丈夫なのか?」と心配してくれたが、結果的にその心配は的中して、コンビニで働くことになり大型連休をとることもなくなった。そして今となっては、年末年始は休みたいという感覚がなくなった。もし今の気持ちで高校3年生に戻れたら、どのような就職活動をするだろうか…少なくとも「しっかり休みたい」とは言わないだろうし、もうちょっと仕事の選び方が違った気がする。このような気持ちの変化も父親に伝えたいのだが、「コンビニでアルバイトをして、仕事に対する考え方が変わった」というコメントは息子として相応しいとは思えなかった。

 

もやもやする出来事がありながらも、前向きに働いていた今村だったが、そんな日常がいつまでも続くわけではない事実を思い知ることになった。夕方からの出勤に向けて目が覚まし、そろそろ起きようかとしたタイミングで、経験したことのない激しい揺れを感じた。部屋にある本棚、テレビが倒れ、反射的にまた布団にもぐった。身体を揺すられるような揺れだった。「やばくないか…震度いくつ?これ以上揺れたら本当に危ないな…」と考えながら、ただひたすら待つしかなかった。

この日、3月11日午後、とんでもないことが起きたことは間違いなかった。テレビを起こしスイッチを入れると、緊急速報が流れている。東京の揺れている様子が何度も映し出される。震源は東北地方らしいが音信不通のようで、詳しいことは何もわかっていないようだ。その後、停電になり情報が何も入ってこなくなった。とにかく部屋を片付けながら、ガスはまだ使えること、水道が出ることは確認した。しかし職場と実家に連絡しようにも、携帯電話が繋がらない。特に実家が繋がらないのが心配だった。5分おきに実家に電話をかけてみるが繋がらない。携帯電話があまりに繋がらず、最新機能を競い合っていたくせに、全然役に立たないことに怒りにも似た感情が起きた。

電気が使えないのは不便だったが、身支度をして出勤する準備を進めた。このまま明日も電気が使えなかったらどうしたものか…と考えて冷蔵庫の中身を確認した。実家に連絡がつかないまま家を出て、勤務するコンビニに車で向かった。信号が動いておらず街灯も消えたままで、自然渋滞みたいなものが起きている。大変なことが起こったのではないかとラジオを聞きながら、今村は改めて考えていた。

やっと到着した職場では、加藤さんとアルバイトが客の対応をしている。店の中は真っ暗だ。棚から崩れ落ちたものは、とりあえず拾っただけのように並べられて、とても営業できる状態ではないことは一目瞭然だ。今村も加藤さんの指示を仰ぎながら、やってきた客に店が営業できない旨を伝えて、トイレの使用に関しては通路を懐中電灯で照らして対応した。その夜の勤務は異様だった。とにかく来る客に対して入口で対応するだけなのだが、地震の緊張感と慣れない対応によって、朝を迎えた頃には今村はぐったりしていた。加藤さんとアルバイトは各所に連絡を試みたり、店内の片付けに追われていたが、やっと話をする余裕ができた。

「ザッツが来てくれて助かった」

加藤さんは、どかっとだらしなく座って休みながら今村に話しかけた。

「そういえば、実家は茨城だよな?大丈夫なのか?」

「連絡がつかないんですが、実家の2人は健康なので心配ないと思います」

「健康も何も、太平洋側はものすごい被害だぞ。宮城あたりが震源地らしい。津波で相当な人が亡くなっているようだ」

今村は血の気が引くのが感じられた。東北地方の被害が大きいようだが詳細が伝わってこない、今村が把握している情報はこれだけだった。遅れて届いた朝刊を見てみる。相変わらず何が起きているのかわかっていない記事ばかりだったが、日本を揺るがす歴史的な大災害が起きていることは伝わった。昼になって停電は復旧したので、コンビニは営業再開ができた。実家は連絡がつかない状態が続いた。

「自分は元気なので大丈夫です。加藤さんは休んでください」

と伝えて、今村とアルバイトが店に残ったが、その先は混乱に次ぐ混乱で、今村にとっては地震が起きた11日よりも大変な日になった。コンビニには弁当の配送が届かず、缶詰やドリンクも含めて食料品はすぐに売り切れてしまった。乾電池も飛ぶように売れ、消耗品の買いだめをする人も現れた。店内にはほとんど物がない状態になった。それでも客は次々訪れてきた。その日は興奮状態で身体が動き続けたが、休憩を挟みながらも実質24時間以上働くことになった。店に戻ってきた加藤さんは、迷わず臨時休業することを決めた。

「本部に何を言われるかわからないが、1回店は閉めよう。ザッツやみんなが倒れてしまう」

売る物がないから店をやっても意味がないのだが、それよりも本当にスタッフの体調を心配した独断と今村は察した。今村はアパートに戻って、実家に連絡を試みて、やはりというか繋がらないことを確認して、テレビニュースを見ながら倒れ込んで寝てしまった。

今村は携帯電話の呼び出し音で目が覚めた。父親だった。母親も無事らしい。

「良かった…」

それだけ言うと、ベッドで天井を見上げながら父親の話を聞いていた。実家のある水戸も大きな被害を受けたらしい。完全に壊れた家屋や道路も数多くあり大変な状況だが、沿岸沿いは被害の様子がきちんと把握できていない混乱状態だった。今村がテレビで聞いた情報とほとんど変わらない。両親にとっても同じ県のわずか数十キロの様子がわからないのは不安でいっぱいだろう。

それにしても無事で良かった。11日から12日にかけて働いている時は、目の前のことしか考えられなかったが、両親の声を聞いてほっとするなんて久々な感覚だった。栃木に住む今村は、表面的には生活を取り戻した。電気、ガス、水道が使えて携帯電話が使えることが、これほどありがたいことだと感じたことはなかった。テレビからは「日常」とか「絆」という言葉がやまびこのように聞こえてくるが、番組で紹介する惨状は絶望的な内容だった。原発事故、地震、津波の映像が流れ、避けられた人災もあったと言うコメンテーターもいる。日本はどうなるのだろうか、これから何をするべきなのか、被害が大きすぎて、まだ次に向けた議論をする段階でないことは明らかだった。

今村が勤めるコンビニは2日だけ営業を止めたが、その後再開した。淡々と商品を並べて、レジを打つような日々だった。キャンペーンは全て保留となり、仕入れに関しては物不足や物流の混乱が起きていた。とにかく、利用する客がいるなら頑張る、加藤さんの助けになるなら頑張る、といった単純なモチベーションしか持ちようがなかった。

春が過ぎても日本全体の自粛ムードが続き、今村自身もどうしようか考えるようになった。絆という言葉を頻繁に聞くようになって、いきなり故郷の大切さが身に染みたわけではないが、今の自分だからこそできることがあるのではないだろうか…そんなことを考える日々が続いた。ちょっとした募金をしてみても、被災地のために何もできていない無力さを感じることの方が大きかった。たったの2時間で到着する茨城県は地元であり、すぐに手を差し伸べられる距離だ。悩めば悩むほど、被災地に行ってボランティア活動をしたい気持ちが大きくなってきた。

今村には懸念もいくつかある。ボランティア活動らしいことを何もしたことがない。そしてもっとも悩むのが、今村自身がアルバイトとして働いており、人助けなんてしている場合なのかということだ。

被災地に行って役に立てるだろうか…

重労働に耐えられるだろうか…

足手まといにならないだろうか…

自分はアルバイトをしています、と自己紹介をしても「ボランティアもいいけど、まずは自分の将来も心配しなよ」と言われるのが関の山ではないだろうか…「アルバイトは暇だからボランティアに来られるんだな」と思われるのも本意ではない。

加藤さんに正直に迷いをぶつけてみた。

「休みを少し増やしてもらって、ボランティア活動に行きたいと言い出したら、加藤さんはどう思いますか?」

今村の休みが増えると、加藤さんや他のアルバイトの深夜勤務が増えるので、申し訳ない気持ちも大きかった。シフトのことを考えて、加藤さんが返事に困ったらどうしようかと思ったが、即答だった。

「ザッツらしいじゃん」

「でもシフトに穴を空けちゃうし、自分にできるかなって考えちゃいます」

「ボランティアなんて言うからすごいことのようだけど、無理せずにザッツのまま行ってきなよ」

ザッツのままでいい、この言葉が最終的に今村を決断させた。たった1人でもいい。自分が誰かを手伝ってあげられるかもしれない。話を聞いてあげるだけかもしれない。気負わずに、いつものように、雑用はザッツの望むところだ。

 

被災地に向かうことになった朝、今村は客としていつものコンビニに寄って、パンやドリンクを買った。休みの日にボランティアに行く、たったそれだけのことではあるが、自分の決断に改めて今村は驚いていた。アルバイトだろうが何だろうが、仕事に向き合うやりがいを感じて、多少なりとも自分の存在価値を、この場所で加藤さんが教えてくれた。不安や心配がないわけでもないこの出発の日、今村の人生にとって大きな記念日になるだろう。レジは加藤さんが打ってくれた。

「ザッツはすごいな」

「ザッツって呼んでいただいて本当に嬉しかったんです」

素直な思いを伝えた。