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キャリア・短編小説・NIKKO・Fukushima

【離陸】

少し傷がついてきたが、まだ新品同様だ。

健太は自分のドローンを右手だけで持ち上げて、前後左右を眺めてみた。

次にドローンを地面に置いてコントローラーを両手で持つ。左手のレバーを上げるとドローンはいつもの金属音をたてながら健太の目の高さまで飛び上がった。くるんと横方向に一回転のローリングをしながら地面すれすれまで高度を下げて、また健太の目の高さまで飛び上がる。毎日何回もやっているちょっとした準備運動だ。4枚のプロペラが目に見えない速さで回る金属音と、ふわって飛び上がる離陸の瞬間が健太はたまらなく好きだ。

母は「壊さないように大事に遊んでね」と言い、父はこの間こっそり「大会では壊れちゃってもいいから思いっきりやってきなよ」と言っていた。いったいどっちなんだよ、と思いながらも、ケンタロウと名付けたドローンが健太にとって宝物であることは変わらない。

 

今日は市内の小中学生による第2回ドローン大会。開会式が終わりもうすぐ1回戦だ。

32人のトーナメント方式で勝ち上がるのだが、もうすぐ組み合わせが発表になる。健太はドキドキしてきた。初出場のこともあり対戦相手は初心者であってほしい。だけど負けたときのことを考えると上手な相手の方が言い訳になる。応援に来ている母は昨日から「緊張しちゃうねー」と騒いでいた。いつもより1時間も早く母と一緒にベッドに入ったが「お母さんがうるさくて寝れねえよ」と言って眠れない時間をやり過ごしていた。緊張して眠れないと思われるのは何となく嫌だった。結局レースのことをいろいろ考えて、寝たのはいつもと変わらなかったと思う。

会場である市民体育館には、参加する子どもと家族が大勢集まっており観客席で組み合わせ発表とレース開始を待っている。

大会は先着順の申し込みだったので、初日に父が申し込んでくれた。父によると1週間で締め切りになったらしく、早く申し込んで本当に良かった。健太はどんな様子の大会なのかをネットの動画で何度も見て確認していた。公式の動画ではなく、誰かが撮影して投稿してくれたものだが、これだけでも初出場の健太にはとても助かる。去年の大会では決勝でドローン同士が衝突して2機とも床に付いてしまい途中失格だった。話し合いの結果2人の中学1年生が優勝したらしい。動画はドローン同士が衝突して墜落、会場がざわざわしているところで途切れていた。

健太は小学6年生、周りを見ると中学生の方が多いように見える。5回勝てば優勝だがやっぱり中学生とは当たりたくない。ドローンはテレビの特集で見て面白そうだったので誕生日に買ってもらった。それ以来意外とはまっている。何度母にお願いしてもゲーム機を買ってくれず、自分でもこれが反抗期なのか、と思いながら家族の言うことを聞かなくなった。イライラしているのは母のせいだと決めていた。父は「そんなんだから買ってやらないんだぞ」と追い打ちをかけた。

ある日しょうがなく「どうしてもドローンが欲しいんだ」とお願いしたらあっさり買ってくれて、びっくりしたことを覚えている。健太とケンタロウはそれ以来毎日のように遊んでいる。ドローンをきっかけに父と話すことも増えた。

航空法により無許可で遊べるドローンは本体重量が200g未満と決まっているが、大会に参加できる機体はさらに小さい、100g以下と決まっている。あまりに機体が大きくてスピードが速いと危険性が上がることもあるが、それより大きいと値段が1万円以上になるので機体の性能差も大きくなる。小中学生が対象の大会だから、あまり性能や値段が高いドローンでは問題が多いのだろう。

会場を見渡してみると、だいたいどのドローンも同じような大きさなので性能はほとんど変わらないはずだ。わざわざカメラ機能が付いているドローンで参加する人もいるが、勝敗よりもレースの様子を撮影したいのかなと健太は思った。同じ小学校からの参加はいないかもしれない。学校でも健太ほどドローンにはまっている友達はいないので、ドローン仲間がほしいと少し思っている。

 

健太はケンタロウを離陸させ、そのまま目の前でローリングさせた。今日もこの準備運動を何回やったかわからない。

トーナメントの組み合わせが決まった。健太にとっては小学校でテストを返される瞬間のような感覚だ。テストは実力次第だが、ドローン大会はどうなんだ。いよいよ緊張して父や母に話しかけられても「ちょっと黙ってて」という返事になってきた。

会場内のモニターに映し出されて、壁にもトーナメント表が貼り出されている。健太は1回戦の相手を見て声が出なかった。観客席で隣に座っている父と母は「相手も6年生じゃん。ショウくんだよね。良かったね」と喜んでいる。相手は同じ小学校の翔だった。

観客席を改めてぐるっと見渡すと、確かに翔がいた。母と来ているようだ。顔を見るのはおそらく3カ月ぶりになる。健太より背が高く、すらっとした体型、いつも眼鏡をかけていたはずだが、今日はかけていない。眼鏡以外は以前のままだ。母と楽しそうに話をしており手にはドローンを持っている。翔とは違うクラスではあったが同級生なので、もちろん一緒に遊んだり昼休みにサッカーなどしたこともある。翔も1回戦の相手が健太であることはわかっているだろう。

 

健太は1回戦の第3試合だ。2階の観客席から1階のレース会場を見下ろした。市民体育館のコート全面を使ってドローンが25周するレースだ。ドローンが誤って観客席側に飛んでこないように、観客席の前にロープのカーテンが二重に吊り下げられている。レース会場の四隅に直径2メートルのフラフープが吊り下げられており、その4つのフラフープをくぐり抜けながら早くゴールした方が勝ちだ。25周を平均時速30キロ、1周10~15秒かかるので5分前後で勝負が決まる。フラフープにはぶつかってもセーフだが、コートの床やロープのカーテンに接触したら失格だ。

第1試合は小学生同士のレースだった。実力差が大きく、初めてレースを見た人でも勝つためのポイントがわかるようなレースだ。1人のドローンは不慣れにコーナーのフラフープをくぐっている。フラフープは四隅にあるので、あまりスピードが速い状態で突入すると外側に大きく膨らんだり、最悪の場合は壁に激突する可能性が出てくる。フラフープの前で減速してから直角に曲がり、いち早く再加速するのがセオリーだ。減速が大きすぎると初心者であることがバレバレだ。接戦とはいえず片方だけが速いので、3周差がついた。隣で母は大きい声で「すごーい」を連発して、そのたびに「うるさい」「黙ってて」って注意した。父は小さい声で「へー」を連発している。追い抜く瞬間は見ている方も手に汗握る。健太は早くレースに参加したいような、したくないような複雑な気分になってきた。やはりコーナーをスムーズに曲がっている小学生が危なげなく勝った。負けた方の小学生くらいの腕前なら健太でも勝てただろう。翔はどうなんだろう。

2回戦は中学生同士だ。こちらは健太が見ても、2人がレースに慣れている感じが伝わった。健太と翔は次のレースに備えて、1階の会場入口でレースを見ている。キーンという金属音が会場中に重なり合い、実況アナウンスがレースを盛り上げている。近未来的な雰囲気に包まれながら、健太は翔のことが気になってきた。

「翔っていつから学校に来なくなったんだっけ」「何かあったのかな」気がついたらこればかり考えていた。

2回戦は終盤で負けていたドローンが抜き返したことで、会場全体が盛り上がった。やはり勝負のポイントはコーナーだ。相手のドローンにぶつからないように、なるべく減速せず内側を飛び、いち早く再加速する。乱暴な言い方だが25周を回るので、単純計算すると4つのコーナーにあるフラフープを100回スムーズにくぐり抜けることができれば勝てるレースだ。

 

いよいよ健太の番だ。前に進んで一段高い操作台に向かう。二重ロープでできたカーテンの内側に入り、ゴーグルとヘルメットを着用することになる。ケンタロウを足元に置いた。こんなに広い会場でドローンの練習はできないので、レース自体もゴーグルをつける感じもぶっつけ本番だ。ヘルメットもかぶって健太は現実感がなくなってきた。いよいよ始まるのかな。負けたらどうしよう。こんな重いゴーグルのせいで操縦しにくいかもしれない。翔はずっとドローンの練習ばっかりやっていたんじゃないかな。もうすぐスタートだ。どうやって離陸させるんだっけ。こんな簡単なことに頭を使ってしまう。左手のレバーでいいんだよな。翔の表情はまったく見えない。ひょっとしたらゴーグルをつけるために、今日は眼鏡ではなくてコンタクトなのかな。翔のことを考えて集中できない。2人並んで同じ会場に立つのは不思議な感覚だ。

「ただ今から第3試合を行います。エントリーナンバー5番高崎健太くん」

左手の親指にぐっと力を入れる。健太のドローン、ケンタロウが無事に2メートルくらい垂直に飛び上がった。いつものようにローリングさせながら着地させた。大きく息を吸う。これだけで一仕事終わった気分だ。

「エントリーナンバー6番東野翔くん」

続いて、翔のドローンも2メートルくらい飛び上がった。翔のドローンは垂直に飛び上がって、そのまままっすぐに着地した。

このように2機の機体を観客が識別できるように紹介する。 

「それでは両者、スタートラインにドローンを置いてください」

ケンタロウと翔のドローンがスタートラインの白線に合わせて並んだ。そして2人は操作台に並ぶ。

「アーユーレディ?3・2・1・ゴー!」

2機がふわっと離陸して加速しながら上昇する。モーターの回転音が体育館に響き渡り、ちょっとしたモータースポーツ会場のような雰囲気だ。最初のコーナーに差し掛かり、ケンタロウが先にフラフープをスムーズにくぐり抜けた。すぐ後ろから翔のドローンがくぐり抜ける。どのくらいのスピードでコーナーに突入して、カーブを曲がり切って再加速すればいいのか、その感覚がつかめるまでは健太も翔も無理をせず、安全第一の操縦だ。

「序盤は健太くんのドローンがリード、そのすぐあとを翔くんのドローンがしっかりと追いかける!」

アナウンスがレースの状況を伝えて盛り上げる。

「初出場の健太くんが頑張っている。4周目に入った!」

「2回目出場、翔くんも続いて4周目!」

「健太くんリード。いい調子だ!」

5周目に入った。健太はだいたいのスピード感がわかってきた。直径2メートルのフラフープはあまり大きな障害ではない。仮にドローンがフラフープに触ってしまっても失格にはならないし、触れたくらいでは墜落の可能性も小さい。実際に前の試合でもドローンが何回もフラフープに触れたり音がするほどぶつかっていたが、問題なく飛行を続けていた。

フラフープは健太の目線よりも高いところにあるので、若干見上げるような態勢で操縦している。見にくいことよりも首が疲れてしまう方が心配だ。大会前の練習では、フラフープを空中に吊り下げるなんてできなかったので、フラフープが空中に浮いているイメージで、それこそエアフラフープでケンタロウを飛ばしていた。フラフープの大きさがエアフラフープよりかなり大きく感じられたので、飛ばすだけなら問題ない。不気味なのは翔のドローンだ。

翔のドローンはずっと一定の間隔でついてきている。5メートル後ろを追いかけており、おそらく追い抜くタイミングとチャンスを狙っていると感じた。翔のドローンは何の特徴もなくついてくるだけなので、まだ健太は翔の腕前がわからない。一定の間隔でついてくる翔のドローンを見て、勝手に自爆してくれればいいのにな、と考えていたが、そうもいかないようだ。コーナーでもしっかり減速して直角に曲がり、タイミングよく再加速している。さっきアナウンスで2回目出場って言っていた気がするが、基本的な飛び方はできているようだ。

「ひょっとして後ろから安全運転でついていって、途中のチャンスで一気に抜いた方が勝ちやすいんじゃないかな」父が練習のときにそんなアドバイスを言ってくれた気もするが、意味がわからず聞き流してしまっていた。なんでちゃんと説明してくれなかったんだ。

 

「翔くんはどうだ。様子を見ているのか。しっかり健太くんについている!」

6周目、7周目とレースは進んだが翔のドローンは安定してケンタロウについてくる。これがケンタロウをただ追いかけているだけなのか、翔の狙っている作戦なのか、健太はだんだん頭が混乱してきた。舌打ちした。翔のやつ、何考えてんだ。8周目の実況が流れた。会場は一進一退でもなく、ミスなく淡々と飛んでいる2機をシーンと見つめている。健太にはキーンという金属音と時々流れる実況以外に何も聞こえていない。

9周目、我慢できなくなって翔をちらっと見てみた。表情はゴーグルのせいでわからない。無表情のようにも見えるし、懸命に操縦しているようにも見える。相変わらず翔のドローンはケンタロウの5メートルくらい後ろに位置している。

「ここはお互い我慢の時間帯か。翔くんはどこで勝負に出るのか」

「2機ともコーナーを難なくすいすい曲がっている!」

「もうすぐ10周目、前半戦はいい勝負!」

実況アナウンスの声が会場に響き渡る。もう少し勝負に変化があった方が実況もやりがいがあるだろう。いい勝負をしていることは間違いないようだが、翔の腕前がわからない不気味さだけがどんどん膨らんでいった。

10周目に突入した。健太は賭けに出ることにした。コースをグルグル回るだけなら、もう少しコーナーの内側を攻めてスピードを上げられる。たぶんその気になればいつでも翔を抜き返せるだろう。わざと少しだけスピードを落として翔のドローンに抜かせることにした。全部で4本ぶら下がっているフラフープのうち、3本目と4本目のコーナーであえてスピードを落としてカーブした。翔のドローンがケンタロウに追いついた。11周目に入る頃には翔のドローンがリードした。

「ここで翔くんのドローンがついに健太くんを捉えた!」

「翔くんが少しリード!」

実況がヒートアップしている。

健太の作戦としては同じことをやってみようと考えていた。翔のドローンについていくのは簡単だ。スピードを合わせて同じくらいの間隔をあけて安全運転をしよう。まだゴールまで15周もある。翔が操縦ミスしたときに一気に追い抜くか、後半どこかのタイミングでギリギリのスピードを出して追い抜けば、翔なんかに負けることはないだろう。

11周目、12周目と位置関係が変わっただけで、翔のドローンとケンタロウがコースを回っている。翔のドローンが追い抜いたことで一気に突き離されたらどうしよう、そんな心配もあったが今のところ大丈夫だ。翔のやつ、早くミスしないかな。ミスをしなかったとしても、これが翔の全速力ならそのうち追い抜くことができるはずだ。

実況が13周目であることを告げている。残り半分を切った。健太はさすがに少し首が疲れてきた。操縦が乱れてきたわけではないが、集中力がなくなってきた。ただ追いかけているだけなので、思わずレース以外のことを考える瞬間も出てきた。「翔って学校休んで何してたんだろう」

我に返ってレースに意識を戻すが、翔が学校に来なくなったことがどうにも気になってきた。翔っていつも何やってんのかな。翔のせいでまた集中できなくなってきた。

翔のドローンがこれまでとは違うルートで飛ぶようになってきた。フラフープのない直線で高く飛び上がり、コーナーに近づくと高度を下げながらフラフープをくぐる。そのまま低空飛行を続けて、次のコーナーに近づくと、今度は高度を上げながらフラフープをくぐる。そのまま高い位置で飛行を続ける。フラフープの前後でジグザグに上下しているような動きだ。

「翔くんのドローンが上下に揺れているぞ。何かの作戦か」

「健太くんはどうする。抜き返せるか!」

健太は翔のドローンについていった。上下にジグザグ飛行することは遊びでもよくやることなので、まったく問題ない。そんなジグザク飛行に付き合いながら、翔が操縦ミスをするのを待ってみよう。フラフープをくぐるので多少は気を遣うが、どこまでついてこられるのか、翔が健太を試しているようなレース風景だ。

15周目に入った。健太は何か胸騒ぎがしてきた。最初は何が起きているのかよくわからなかった。徐々に翔のドローンに離されている。ついていくのがきつい。ついていけなくなってきた。

なぜ翔のドローンはこんなに速く曲がれるんだ。カーブのたびに少しずつ差が開いていく。健太は翔のドローンを目で追った。

「まじか」

思わず声が出た。

翔のドローンは上下にジグザグ飛行をすることで、コーナーでスピードを殺さずにカーブしている。ドローンを水平に飛ばしているときは、コーナーで直角にカーブしなければならないのでスピードをいったん大きく落とさなければならない。ここの減速を最小限にしてフラフープを抜け、次の瞬間に再加速するのがセオリーだが、翔のドローンは違う。同じ直角のカーブでも高いところから低いところへ飛び込むので、ドローン目線の実際のカーブは、90度よりもかなり浅い角度になる。スピードを殺さずにコーナーを処理することができている。

「翔くんのドローンは相変わらず上下に飛んでいる。健太くんを突き離せるか」

「健太くんも必死についていく」

「翔くんのコーナーが速い」

「翔くん速い」

「翔くん速い」

実況もわかっているのかどうなのか、翔のドローンがスピードアップしたことを感じているようだ。健太は舌打ちした。深呼吸しようとしたが、うまくできない。

「17周目に突入だ、翔くん速い」

ケンタロウと半周の差がついてしまった。健太は焦ってきた。これではわざと追い抜かせたつもりが、翔は飛びたいように飛んでいる。17周目、18周目と翔のドローンを追いかけて、高速カーブを真似しようとしたが難しい。カーブのたびに舌打ちした。「ミスしろ」「ぶつかれ」「ぶっ壊れろ」心の中で翔の自爆を祈っている自分がいた。

「不登校」

小さな声で思わず口にしてしまった。

学校に来ないでドローンの練習ばかりしていたんじゃないだろうか。こんな飛び方は見たことがない。よほどインターネットで研究したか、本格的なコースで練習してきたに違いない。

気持ちの整理ができないまま、しょうがないので水平飛行で最短距離を狙うように作戦を変えた。王道だが、とにかくフラフープをギリギリの内側で通り抜けながら、曲がり切るかどうかで一気に最大加速する。とても悔しいが同じことをやっても絶対に抜き返せないので、自分ができる限界で飛んでみよう。学校にも来ないで練習ばっかりの翔に勝てるわけがない。

「健太くんも速い。コーナーギリギリをついている!」

「ちょっとずつ追いついてきた。これはすごいレースだ」

明らかに2機のコース取りが違うので、会場が盛り上がってきた。「おおー」と歓声が聞こえるが健太は、なんでこんなことになってしまったんだ、そればかり考えていた。舌打ちが歓声にかき消されている。

19周目、健太は明らかに無理をしてコーナーを攻めていた。フラフープにぶつかっても構わない、それくらいフラフープの内側を攻め続けたことで2機の差が縮まっている。20周目、翔のドローンは相変わらず上下にジグザグして慌てるでもなく、安定したリズムで飛行を続けている。ついにケンタロウが追いついた。

「よっしゃ」

健太はつぶやいた。2機が前後で並んでいたときは、ドローン同士がぶつかりそうになることはなかったが、今はケンタロウが水平に飛んでいて、翔のドローンが上下にすれ違っている。いつドローン同士がぶつかってもおかしくない状況になってきた。健太はフラフープにぶつかりそうな一方、翔のドローンにもぶつかりそうで、暴走機関車を運転しているような気分になってきた。操縦しているのだが、まったくコントロールできている実感がない。

「健太くんも攻める。ものすごいデッドヒートだ。2人とも頑張れ!」

残り5周を切っている。翔のドローンはケンタロウの下を飛んでいる。

一瞬、健太はいいことを思いついた。勝てるかもしれない。翔のドローンの不気味なリズムを止めればいいことだ。ドローンレースでは別の機体の真下を飛ぶのは非常に危険な状態だ。ドローンはプロペラで広い範囲に下降気流をつくるので、下の機体は上の機体の下降気流を浴びてしまう。バランスが崩れることを防ぐために、どうしても下の機体はいったん逃げなければならない。健太は息を止めた。なんでもっと早く気がつかなかったんだろう。ケンタロウはそのまま高度を下げて翔のドローンに近づいた。迷いはなかった。翔のドローンは床に激突するかもしれない。「落ちろ」「ぶつかれ」「行け!」

ふと、翔のドローンが少し横にずれたかと思うと、一気に高度を上げて、ケンタロウと位置関係が反対になった。健太の作戦が読まれてしまったのか、たまたまなのか。ケンタロウは意味もなく高度を下げてしまったのでまた簡単に翔のドローンにリードを許してしまった。

「チクショ」

一瞬の出来事だったが致命的だ。余計なことをしなければ良かった。翔のドローンを床に激突させようという狙いがばれたのか。あんな一瞬で翔が反応して逃げたとは到底思えない。負けてしまう予感が走った。健太にとって次のチャンスがラストチャンスになるだろう。実況アナウンスも早口になってきた。興奮している。

「残り3周だ。最後にきて翔くんリード。どうする健太くん!」

23周目に入った。

ケンタロウはコーナーを際どく曲がる。第1コーナー、第2コーナー、また少しずつ翔のドローンとの差が縮まる。こうなったら何が何でも抜くしかない。もう少しで追いつきそうだ。差は1メートルを切っている。

第3コーナー、2機がほぼ同時にフラフープに向かう。翔のドローン、ケンタロウの順にフラフープに近づいたところで健太は賭けに出た。翔のドローンがフラフープで曲がる瞬間に、ケンタロウが強引にその内側に突っ込んだ。作戦でも何でもない。とにかく攻めるしかなかった。

「行け」「突っ込め」

バシッバシッ!ケンタロウは翔のドローンにもフラフープにもぶつかりながらカーブを曲がり切った。ケンタロウも翔のドローンも多少バランスを崩したが、墜落することなく並んで第4コーナーに向かう。

 

健太は思い出した。

6月のことだ。健太も翔も運動会ではリレーの選手に選ばれた。本番前の練習では2回とも翔のチームが勝っていた。2人は6年生なのでチームのアンカーなのだが、健太にバトンが回る頃には翔はかなり先を走っていて勝負にならなかった。健太は下級生に向かって冗談で「もっと早くアンカーまで回さないと、さすがに追いつけないよ」と言っていたが、本心でもそう思っていた。

迎えた運動会本番では、まさか同時に健太と翔がバトンを受け取って走り出した。3位と4位の争いだったが、アンカーに同時にバトンが回り校庭中に「おおー」と歓声が走った。

カーブに入るタイミングで翔の方が少しリードした。リレーでは追い抜くときはカーブの外側から追い抜くのが通常だ。衝突を避ける意味もあるが、リードしているランナーはなるべく内側を走るので、外側から追い抜くしかない。健太は焦った。舌打ちをした。練習では最初から大差で負けていたので、翔がどれくらい足が速いのか全然気にしていなかった。突き離されるかもしれない。

「チクショ」

カーブが終わる手前で、強引に翔の内側から追い抜こうとした。翔は思わず振り返ったのでまるで予想外だったのだと思う。と同時に、健太の足と翔の足がぶつかった。翔はバランスを崩して転んでしまった。そのまま健太は3位でゴールした。後ろを振り返ることができなかった。

学校で翔を見たのはこのときが最後だ。

 

「まさか」

運動会で転んだくらいで不登校になるだろうか。そうだとしたら誰のせいなのか。俺のせい?そんなわけあるか。

2機のドローンは24周目に入った。運動会で翔とぶつかり、そして今日もドローンレースでぶつかった。翔が悪いんだ、と思いたかったが、どう考えてもぶつかっているのは健太の方だ。さっきケンタロウと翔のドローンがぶつかったシーン、翔はどう見ていたんだろう。少し横を向けば翔のことが見えるはずなのに向くなんてできなかった。

キーンという金属音が響き渡り、2機のドローンが飛んでいる。ものすごい剣幕でアナウンスがレースのクライマックスを実況している。そんな気がするが、まったく健太の耳には入ってこない。

翔のドローンはジグザク飛行をやめて水平飛行に移っている。ケンタロウも外見上は同じように飛んでいるが、健太はもう心ここにあらずだった。コントローラーで指先だけを動かして、ケンタロウはただただ飛んでいるだけだ。気がつけば25周が終わろうとしている。健太は勝っても負けてもどうでもよくなっていた。翔のドローンが無事に飛んでいる。それだけを確認しながら10秒くらい時間が過ぎた。

翔のドローンがゴールした。続いてケンタロウがゴール。

健太はヘルメットとゴーグルを外した。2階の観客席から大きな拍手が聞こえる。どのレースに対してもこれだけ拍手が起きるんだろうか、健太はわからなかった。健太は第1試合でも第2試合でもレース自体にしか関心がなく、選手を称えようなんて気がさらさら無かった。

翔の方には一切顔を向けず、そそくさとレース会場から出て観客席に戻った。

母は「惜しかったねー」「もうちょっとだったのに」とマシンガンのように言葉を並べ立てて、本当に残念そうだ。父は「お疲れさん」と言って次のレース開始を待っている。

そのあとも1回戦の残り、2回戦とレースを見ていたが、頭の中は運動会のことばかり考えていた。レースが終わって観客席に歩いて戻って、空いている椅子に座り次のレースを見ている。この一連の動作が一瞬で終わった気がした。母は健太のレースについていろいろ聞いてきたが「あとにして」と言ってレース見学に集中したいポーズを決め込んだ。

「まさか」

心の中でまたつぶやいた。

運動会で転んだくらいで不登校になるだろうか。翔ってそんな奴だったっけ。もっと別な理由があるに違いない。転んだくらいで不登校になるなら、日本中の小学生が不登校だらけだ。でも運動会を最後に、翔は学校に来ていない気がする。もう3カ月以上経っている。何をしていたんだろうか。まさか本当にドローンの練習ばかりではないだろう。

翔の2回戦がスタートした。相手は中学生だ。今回はジグザグ飛行をしないでオーソドックスにカーブを曲がっている。機体を内側に傾けながらきれいにカーブを曲がり切っている様子はゲームのワンシーンのように美しい。翔は勝ち負けよりもいろいろな飛び方を試しているのかもしれない。無理をしてレースに勝ちにいくことはなく、安定してスムーズに気持ちよく飛ぶことを目指しているように見える。翔は惜しくも2回戦で負けてしまった。

何を考えて飛んでいるんだろう。何を考えてコントローラーを動かしているんだろう。レースでは負けたものの、中学生を相手に互角にレースをしていた。翔が同じ小学6年生とは思えなくなってきた。不登校であることも勝手に気になって、勝手に気にならなくなってきた。学校に来なくなったのも翔、中学生と互角にドローンレースをするのも翔。不思議な奴だ。気づいたら拍手をしていた。

 

「よお」

翔が観客席に戻ってきたタイミングで、健太は声をかけた。健太も翔も手には自分のドローンを持っている。レース直後は翔と顔も合わせたくなかったのに、自然に声をかけることができた。

「久しぶりじゃん」

「そうだね」

翔も自然に返してきた。健太はさらに聞いてみた。

「いつからドローンやってんの?」

「去年の夏休みから」

「へー、今度一緒に遊ぼうよ。翔のドローンって何て名前なの?」

「名前?何それ?」

「俺のはケンタロウって名前つけてんだ」

「名前?何それ?面白いね」

翔は笑っている。今度は翔が聞いてきた。

「健太っていつもドローンをくるっと回して遊んでいるよね」

「回しているのはなんとなく。ドローンが飛び上がる瞬間って良くない?」

「わかる。離陸っていうか、俺も飛び上がる瞬間が一番好き。先にキーンってプロペラの音がして、それからふわって飛び上がるじゃん。かっこいいよね」

翔は楽しそうに話している。

「レースでぶつかっちゃってごめんな」

健太は勇気を出して言ってみた。

「あんなの平気だよ」

翔は答えた。あっさり「平気だよ」と言ってくれたことに健太は安心した。

「運動会でもぶつかっちゃったよね」

思い切って続けた。

「あのときも悪かったね」

健太は翔の返事を待ってみる。

「なんか悪いことあったっけ?」

さすがに「平気だよ」ではなかったが、翔の返事に対し、健太はどう言おうか考えた。

「リレーでもさ、俺が無理して突っ込んで転ばせちゃったじゃん」

「そうだっけ?」

翔はとぼけているようにも見えるし、本当に忘れているようにも見える。

「リレーのせいで落ち込んでいるのかと思ったよ」

「俺が健太に負けたから?」

「そうじゃなくて、俺が転ばせたようなもんだから」

「そうだよ」

健太はどうしたらいいのか困った。やっぱりショックだったのかな。翔は続けた。

「別に運動会で悔しかったとか恥ずかしかったとか、そんなんじゃないけど、しばらく学校を休んだらそのまま夏休みになって、なんとなく夏休みが終わっても休んでたんだ。別に学校に行ってもいいんだけど、行かなくてもいいかな、みたいな」

健太はびっくりした。翔のことをよく知っているわけではないけれど、あまりに自然に学校に行かなくなり、そしてあまりに自然に学校に行かないことを話している。健太にはやっぱり想像がつかない不思議な奴だ。健太は何かにつけて誰かのせいにしているが、レースで戦った翔の方は何も気にしていないように思える。

レース会場からは相変わらず大きな実況アナウンスが聞こえる。健太は目の前に広がる観客席を眺めた。翔も同じように遠くを眺めている。学校に行っているのか行ってないのか、そんなことはどっちでもいいのかな。やっぱり学校には行った方がいいような気もするけど。

観客席ではみんな思い思いにドローン大会を楽しんでいる。高速レースを必死に目で追って応援する人、おしゃべりを楽しんでいる母親たち、疲れているのだろうか、寝ているどこかの父親もいる。出場者の弟や妹だろう小さい子どもは、大人に叱られながら走って遊んでいる。今年は誰が優勝するのかな。予想している声もちらほら聞こえる。

また翔のことを考えた。一緒にドローンで遊びたいし、もっといろんな飛び方を教えてほしい。けど別に、サッカーでもいいし、何でもいいかな。翔みたいに不思議な奴なら、何をしても面白いんじゃないかな。そんな気がする。そういえばもうすぐ修学旅行だ。翔がちらっとこっちを向いた。

「ねえ、学校行こうよ」

「そうだな」

翔はあっさり返事をした。

 

 

【第41回宇都宮市民芸術祭(文芸部門)奨励賞】